自民党総裁選と「はだしのゲン」をつなぐ不等式
経済学が事不思議であるということは、経済を運営するということが、理系文系両方の知識と教養を必要とする仕事であることを意味する。自分の利益だけ考えていてはいけないし、他人の顔色をうかがって、利害を調整するだけでもいけない。しかも富は人間の価値観で決まる。その一方で富の根本には自然があり自然現象があり、一番外側には地球環境というタガが嵌(は)められている。 ●自然には逆らえないし、逆らうとえらいことになる 富は人間の中からも自然の中からも生まれる。そして自然に逆らうと、人類社会は手痛いしっぺ返しを受ける。津波を甘く見て炉心が溶けてしまった東京電力福島第1原子力発電所の原子炉のようなものだし(「原発を造る側の責任と、消えた議事録」)、温度差による膨張収縮の見積もりを誤って、破断してしまった地球観測衛星「みどり」の太陽電池パドルのようなものだ(「技術者が『経営者の帽子』を押し付けられるとき」)。 そして、どうもピケティの示したr>gという不等式は、その普遍性からして自然の側の法則であるように思われる。つまり、絶対に無視してはいけないということだ。 ここで話は、自民党総裁選、立憲民主党代表選に戻ってくる。候補のほとんどが、「消費税堅持、ないしは増税」という心づもりらしい。つまり、津波を甘く見た2009年ごろの経済産業省とか東京電力とかと同じポジションにいるわけだ。各候補は「まっさかさまにおちてでざいあ~」の旅客機の座席に座り、優雅にコーヒーか何かを飲んでいる状態である。他人事ではない。今我々は全員、同じ旅客機に乗っている。 過去、広がりすぎた社会格差は、戦争によってのみ縮小したとピケティは指摘している。戦争が起きてしまったら、その犠牲は巨大だ。是正するには戦争をするしかないような巨大な社会格差が固定する前に、日本は1970年代のような累進性の強い税制を取り戻す必要がある。 とはいえ、自由民主党・立憲民主党のトップ候補があらかた消費税堅持ないしは消費税増税という姿勢を見せている中で、どんな希望が持てるというのか。 ●主義をくるっと捨てる卑劣漢に期待しよう 広島の原爆被害を描いた中沢啓治のマンガ「はだしのゲン」に、鮫島伝次郎というキャラクターが登場する。戦争中は調子に乗って軍国主義の先頭に立って威張りまくるが、敗戦後、くるっと態度を変えて「わたくしは戦争反対を強く叫びとおしておりました」「日本は戦争をしてはいけないと固く信じていたのです」と演説し、主人公のゲンに罵られる役回りだ。 とんでもない卑劣漢である。が、考えてみよう。敗戦時、「天皇陛下は耐え難きを耐え忍び難きを忍びと言ったが、まだ日本は負けていない。神国不敗だ。最後まで戦うぞ」と、日本国民全員が態度を変えなければ一体どうなっていたか。本土決戦で日本はもっとひどいことになって、その後の高度経済成長もジャパン・アズ・ナンバーワンもなかったろう。 その意味では、日本人の大多数は多かれ少なかれ鮫島伝次郎なのだ。心の中で色々と言いわけしながらころっと態度を変えたたくさんの鮫島伝次郎がいて、はじめて日本は愚かな戦争から立ち直ることができたのだ。 時代の潮目を読んで、恥も外聞もなく態度を変える。変えることで潮目を動かし、変化を決定的なものにする。卑劣漢・鮫島伝次郎の存在価値はそこにある。否、卑劣漢であるからこそ、時代を動かすことができる。 考えてみれば「君子豹変(ひょうへん)」という言葉は本来「徳の高い人は、自分が誤っていると分かると、すぐに改める」という意味であった。 今、私は、自由民主党総裁候補、立憲民主党代表候補の中に、鮫島伝次郎が出現することを期待している。
松浦 晋也