自民党総裁選と「はだしのゲン」をつなぐ不等式
サラリーマンにはぴんとこないが、フリーランスは敏感に感じ取る――この事実を知った時、私は戦慄した。実は日本の職業人の多数派となっているサラリーマンには感じ取りにくい形で、日本にとって大変悪い事態が進行しているのではなかろうか。そして、政治家という職業も国から給料が支払われる、サラリーマンの一種なのである。 そこではじめて経済学を学ぼうとした。 ●経済学に保存量はない 私は物理学とのアナロジーで経済学を理解しようとした。物理学では、質量・エネルギーや、運動量、角運動量といった保存量が理解の鍵になる。閉じた系では増えも減りもしない量だ。経済の中に保存量があれば、それをとっかかりにして経済学を理解できるだろう。 天啓はある日、アメリカのSF作家、ブルース・スターリングの『スキズマトリックス』(1985年、邦訳はハヤカワSF文庫)を読み返している時に訪れた。 宇宙に広がり、適応していく人類社会で、主人公リンジーが権謀術数を巡らし、あるいは権謀術数に巻き込まれながら生きていく様を描くこのSF小説には、事故によって宇宙空間にもくもくと広がって固まった不定形の合成樹脂を、宇宙人が「なんと素晴らしい芸術作品だ」と言って買っていくシーンがある。 突然気が付いた。経済において一番の基本概念は富であり、資産だ。富は金額に換算される。が、富は保存量ではない。富は価値観によって決まるのでゼロから創造できる。千利休が、「これは素晴らしい」と言っただけで、それまでうち捨てられていたような茶器にものすごい値段が付くようになったではないか。富はつくれる。富を計るのは通貨だから、通貨もまたつくれる。通貨は社会にある富が円滑に流通する分だけ、社会に存在しないといけないのだ。「千利休の一声」で社会に存在する富が増える以上は、通貨もまた保存量ではあり得ない。 経済学に保存量はない――このことに気が付いて、一気に自分なりの経済学の理解が進んだ。そのタイミングで私はピケティの『21世紀の資本』を読んだ。そこには、消費税に代表される「全員一律税率」の逆進性を持つ税が、社会を破壊する理由が、完璧な形で書いてあった。すなわちr>gである。 第2次安倍晋三政権は、大規模金融緩和を「アベノミクス」として実施した。これは増税と正反対の政策で、そのために消費税10%への増税は延期された。このままどこまでも引き延ばしてくれないかと願ったのだが、結局2019年に消費税は10%に引き上げられてしまった。またしても私は肌感覚で、世間の景気がきゅっと悪くなるのを体験した。 ●南方熊楠の「南方マンダラ」 ある程度分かるようになってみると、物理学と経済学の関係は、南方マンダラにうまく当てはまるな、と思うようになった。 南方マンダラとは、博物学者・民俗学者の南方熊楠(みなかた・くまぐす:1867~1941)が、この世界の知識のありようを示した図だ。真言宗の学僧である土宜法龍(どき・ほうりゅう:1854~1923)に宛てて書いた1903年の書簡の中に登場する。熊楠は10カ国語以上をマスターし、ロンドンの大英図書館で独学して、科学論文誌「ネイチャー」に次々と投稿が掲載された異能の人だったが、その思想が大変象徴的に表現された図とされている。 南方マンダラで、熊楠はまず「不思議」という概念を提示する。人間の解明を待っている知識というような意味だ。その上で、不思議と不思議が重なる場所――彼はそれを「萃点(すいてん)」と呼んだ――を調べることで、この世の理を解き明かすことができるだろうとした。 そして、物理学や化学、生物学、地学などで解明可能な知識を「物不思議」と呼び、対して人間の精神世界の仕組みを「心不思議」と名付け、さらにこの2つが重なる領域を「事不思議」と名付けた。 熊楠はこのほか、他の知識と隔絶しており、人間は直感でしか到達できない「理不思議」、人智(じんち)が決して到達できない「大日如来の領域」の「大不思議」があるとしている。 囲碁の棋士がいくら考えても見つからず、人工知能(AI)が囲碁を打つようになってから発見された定石などは、理不思議ということになろうか。別の言い方をすれば、AIの機能とは理不思議を事不思議に引き寄せることと言えるかもしれない。大不思議は、人間には決して理解できないことがあるという認識を、別の言い方で表したものだろう。 経済学はまさに、この物不思議と心不思議が重なる「事不思議」の領域にある。価値は一方で、食料や鉱物のように物質世界に確固として存在するものもあるが、他方で芸術品のように、心のありさまから生まれる価値もある。 熊楠自身は民俗学者としてこの事不思議の領域を研究のフィールドとしており、彼の民俗学研究は基本として自然と人間社会との関係の中で自然を人間がどのように捉えてきたかに焦点を当てている。面白いことに、彼は「数学は事不思議だ」と書いている。このあたりは異論もありそうだ。