世界文化賞受賞の坂 茂さんとアン・リーさん 紙管を使った建築、世界的ヒットの映画を語る
第35回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した建築家の坂茂さん(67)=建築部門=と、映画監督のアン・リーさん(70)=映像・演劇部門=が、受賞記念の講演会とアーティスト・トークを11月下旬、東京都内で行った。坂さんは自身の建築と世界中の災害現場で建てた仮設住宅などをスライドを使って振り返り、リーさんは芸術性と娯楽性を両立させたと評価される自身の映画作品について語った。 【写真】世界文化賞受賞記念のアーティスト・トークに臨むアン・リーさん ■坂 茂さん 作品と社会貢献の両立を目指して 僕がなぜ災害支援の活動を始めたかというと、アメリカで大学を卒業した後、東京に建築事務所を開いて10年ぐらいしたときに、建築家があまり社会の役に立っていないことに気づいた。地震そのもので人が亡くなるのではなく建築が崩れて多くの人がけがをしたり、亡くなったりする。それは建築家の責任にもかかわらず、街が復興するときに、またわれわれに新しい仕事が来る。しかし、復興の前に多くの人々が避難所や劣悪な住環境で生活せざるを得ない状況があり、それを改善するのも建築家の役割ではないかと感じた。 建築で使う紙管は、構造家の松井源吾先生に協力をお願いして開発を始めた。1994年のルワンダ内戦では200万人もの難民が出た。彼らがシェルター建設のため大量の木を切り環境問題になったので、国連がアルミパイプを供給したらお金のために売ってしまい、また木を切ってしまった。そこで紙管のシェルターを提案したところ、採用された。 翌年の阪神大震災では、神戸市長田区で紙管を使った仮設住宅の他に、仮設の教会を造った。これはコミュニティーセンターとして10年間使われた。その頃、台湾で大地震が起き、被災地にその紙の教会は移設され、今でも使われている。 商業建築はだいたい30年でなくなる。コンクリートでできていても、金もうけのための建築は全部仮設だ。しかし、たかが紙で学生の手で造っても、皆さんに愛されさえすれば、パーマネントな(永続する)建築になれる。それが僕が考えるパーマネントな建築と仮設建築の違いだ。 神戸の被災地ではプライバシーのない避難所を見て驚いた。それで2004年の新潟県中越地震から、学生を連れて間仕切りを避難所に作る取り組みを始めた。行政からは「前例がない」と断られ続けたが、東日本大震災後も作り続けた。2020年の熊本豪雨での避難所では、コロナ禍で飛沫感染防止にいいと評価され、15年続けてやっと内閣府がこれを避難所の間仕切りとして認めてくれた。今、全国で60近くの県や市と間仕切りを作る防災協定を結んでいる。