「うちの子だけ…」発達障害の子どもを持つ母を悩ませる“ママ友”との関係
ママ友とすれ違っても話す時間がない
その後長男が歩き始めると、片時もじっとしておらず、追いかけ続ける日々が始まりました。この時は長男の発達についてまだそこまで疑問に思っていなかったものの、男の子の中でもやんちゃな方ってことだよね?と自分を納得させていた部分もありました。 ある日、近所を歩いていたら目の前に立ち話をするママ友が二人。挨拶をして話そうとしたのですが、長男が一瞬で走っていってしまうため、全く話ができません。「こんにちは~! あ、○○待って。ごめん、またね~~! 」と嵐のようにすぐ走り去る私(笑)。一度ならまだしも、毎回こんな感じなので、話題に全くついていけず、少しずつママ友の中へ入りにくさを感じていくようになっていきました。
保育園の行事は行かない選択ができなくて……
プライベートではその場に行かない選択をすればいい場合もありましたが、保育園の行事などはそんなわけにもいかず、長男が部屋から脱走したり、大きな声を出すたびに、「どう思われているんだろう」とモヤモヤ考えてしまい、どんどん心が削られていくように感じていました。 今思うと周りの人はそこまで気にしてなかったかもしれません。でも長男の発達に悩んでいた私には、ママ友とのお付き合いをする心の余裕がなくなってしまっていました。 優しく声をかけてくださる方もいましたが、自分から心のバリアを張ってしまった私は、必要以上に距離が近くなるのを避けていました。何人かのクラスメイトのママたちが集まって話しているのを見かけるだけで「うちの子のことを言われているんじゃないか……」と酷い想像をしてしまうほど、しんどくなった時期もありました。
発達について学ぶうちに気持ちの変化が
初めての子育てだったこともあり、当時はママ友を作ることが子育てに関する地域の情報を得たり、長男が成長していく上で欠かせないことと思い込み、必要以上に自分を追い詰めてしまっていたのかもしれません(10年近く前は、今のようにSNSで同じ立場の人と知り合う機会もあまりありませんでした)。 そんな状態に変化が出てきたのは長男が年長の後半ぐらいになった頃でした。長男は年中の頃から療育に通うようになっていましたが、最初は「頑張れば追いつけるかも」という気持ちをどこか捨てきれないでいました。でも、発達に関することを学んでいくうちに、徐々に誰かと比べることが減り、長男の発達の凸凹を自然に受け止められるようになっていきました。 保育園や療育の先生、周りの友人の助けを得て、しんどいことはしんどいと言う、受けられる支援やサービスは感謝して遠慮なく受け入れる。私自身の肩の力が抜けたことで、気持ちも少しずつ変化していきました。そうすると不思議なことに、長男に対する周りの目が敵意に満ちたように見えていたのが、そう感じなくなっていきました。 クラスメイトのママたちが集まって話しているのを見ても、もう余計な想像をめぐらせて苦しくなることもなくなりました。ただ「仲良い人たちで話しているんだな」という事実だけを見ることができるようになったからです。人間の思考というのは難しいもので、大きな不安を抱え、疑心暗鬼になった状態で見ると、同じ状況でも全く違う想像をしてしまうものなのだなと、この時強く感じました。