われわれが楽しくモノづくりをすることで良い製品ができ、使う人の生活に楽しみと豊かさを提供できると思っています【株式会社 昭和トラスト 取締役 副社長 飯岡智恵子氏:TOP interview】
乗りかけた船、仲間のためにも頑張れた
こうしてトラストでのキャリアが始まった飯岡さんであるが、入社5年後に民事再生となり、突然冬の時代が到来することになる。 「入社して5年後、当時は総務課の課長だったんです。その当時、千葉県で最大の大型倒産といわれてました。まだメガバンクも民事再生に対して経験がないような頃で……。民事再生の申請後、すぐにスポンサーも見つかり問題なく再生ができると思っていた1週間後にリーマン・ショックという最悪のタイミングで、世界中が不況に陥っていく口火を切ったみたいなところでの民事再生だったので、スポンサー各社にも手を引かれてしまいました。そうした世の中の状況が大きく変わったところで、このまま誰も役員を引き受けなかったら精算するしかないという状況にまで陥りました。そんな状況で開発担当だった池田(現・取締役 池田 勝氏)が、自ら引き受けたんです。池田はトラストに憧れて入ってきた人間で、『トラストがなくなってしまったら自分のアイデンティティがなくなってしまう、誰もやる人がいないんだったら自分が引き受けます』と。私はといえば、実際にはトラストのことは勤めてきた5年間のことしか知りませんし、業界のことも詳しくない。いま携わっているというだけでお引き受けするにはちょっと荷が重すぎるということで、一度お断りしているのです。ですが、池田がその当時まだ30代で若かったということと、民事再生になった場合にお客様や債権者の皆さんにご説明するにあたっては、総務だけでなく経理を引き継いでいた私が適任だというお話をいただき、それで池田をサポートしようと心に決めたんです、もう乗りかかった船ですし。それに総務だったということもあって、社員ひとりひとりとの関わりも強かったので、自分が引き受けなかったらみんなの生活はどうなるんだろうと考えると、やはり引き受けようと覚悟しました」 民事再生の申請後、社員数は約半数ほどに減り、5年以上給与も上がらず賞与もなく、とにかく社員一同で踏ん張っていたという。当然プロモーション活動も自粛せざるを得ない状況だった。周囲からは3年持たないと囁かれる中で、不死鳥のようにトラストは蘇る。トラストとしての第二幕目は、どのようにして幕開けしていったのであろうか。 「残ってくれた社員はみんな腰が低くお客様に頭を下げてくれたのと、池田と私もできるだけ表に出て皆さんとお話させていただくなかで、少しずつ新しいトラストとの信頼関係を築いて頂けるようになりました。お亡くなりになったエンドレスの花里社長には相談に乗っていただいてアドバイスを頂戴し、応援してしていただきました。そこでそろそろプロモーションというか、元気なところを見せていっていいんじゃないかというお話をいただいたんですね。我々の取引先であるショップの皆さんも最初はやはりいろいろな思いがあったと思います。しかし自分たちの売る製品に対して我々がアピールしないと製品が売れなくなってしまうので、トラストにもう一回頑張ってもらいたいといったお話をいただけるようになり、それでドリフトに絞ってプロモーションを始めようということなったんです。過去、TOYO TIRESさんとはドリフトでタッグを組んだことがあったのですが、ちょうどTOYO TIRESさんから、『ぜひもう一度一緒にやりませんか』とお声がけをいただいたということも、ドリフトを選んだ理由のひとつです。 そこで参戦車両に何を選ぶかという段階で、『古いクルマでやるのは違う』という声が開発や現場から上がってきました。その当時シルビアが主流だったんですが、シルビアでドリフトやるのはトラストらしくない、と。誰もやってない、いまのクルマで挑戦したいという意見が出まして、R35 GT-Rに決まったんです。さっそくR35 GT-Rを手に入れたまでは良かったんですけど、真っすぐ走らせることは経験値が高いんですけど、『横』はやったことがなかったんですね。最初はみんな簡単に考えていたようですが、もうまったく自分たちが今まで培ってきた技術や理論とは真逆で、むしろそれを逆に否定されるようなクルマ作りの仕方もあったみたいです。現場ではそれらを呑み込むまでには知識があればあるほど苦労してたみたいです。ただ、トップになるんだという共通の意識があったので、試行錯誤いろんなパーツを試したり、作り直したりして、初年度の最終戦でようやく優勝できました。 このドリフトに参戦したことは、プロモーションはもちろんのこと、人材育成という点でも結果的には正解でした。ドリフトもパワーが大切だろうと、当初はパワーを出すことに注力したんですけど、実際にはそれほどパワーは必要なかったり、GT-Rなのにブレーキもそれほどスペックが高いものが必要ないということがわかったり……。開発って内に籠もって自分たちの範囲内でやってくところがあったんですけど、外に出ていろんな人に教えを請うて、いろんな勉強するという姿勢が養われましたね。人の意見に耳を貸す、自分の知識だけが100%じゃないというのを身をもって知ったっていうんですかね。それから縦横の社内の連携も変わっていきました。技術系は縦社会だったりするんですけど、自分にない知識を持っている部下や、経験は浅いけれども知識を持っている人と、きちんと対等に話をしたり、教えを乞うという姿勢ができるようになったんですね。そこからうちの現場もステップアップしていったというのはあります。 これは社内だけの話ではなくて、お客様に対してもそうなんです。開発の人間が外に出ることが多くなったので、ドリフトの会場でお客様と直接お話をしたり交流を持てたということは大きかったですね。今のトレンドであったり、どんな製品を欲しているのかを直接伺うことができたのは、トラストがハードチューンだけでなくライトチューンも手がけるきっかけとして大変貴重な経験となって、製品もブラッシュアップできました。 いまでは、どこの部署でもそうなのですが、若手の意見はまず受け入れることにしています。否定はしない。これが会社内でのルールになっています。まずはトライさせてみて、つまづいたときにアドバイスをして、ちょっとずつ若手に知識を得てもらおうというやり方に変更しました。最初から先輩や上司が過去の経験からアドバイスをしてしまうと、若手の成長を削いでしまいかねません。 『小さな失敗をたくさんさせなさい、失敗をすると必ず人はそこから学ぶから』。これは弊社の社長である菊地(秀武)の言葉なのですが、小さい失敗をたくさんしてる人間は成長も早く、結果として大きな失敗をしなくなります。だけれども、失敗しないで成長してしまうと、後々、取り返しのつかないような失敗をしてしまう、と。何事にも用心をしなくなってしまったり、人の意見を聞かなくなってしまったり……。そこで、人を育てるためにはまず何でもやらせて、失敗も経験させることだよ、と菊池から言われています。これは今ではトラスト社内では常識になっているんです。 時々、若手の社員に『仕事は楽しい?』と尋ねることがあるんですね。すると、『楽しくやってます』という声をよく聞きます──まあ、私に聞かれればそう答えるしかないかもしれませんが……(笑)。理由を尋ねると、『いろんなことをやらせてもらえるのが楽しい』と言うんですね。以前だと組織は縦割りに機能していて、隣の部署のことに手を出すと怒られてしまうこともあったみたいですが、アイディアを提案すると、『じゃあ、やってみよう』ということになるので、仕事が楽しいしやりがいを感じてくれているようです。我々の業界は生活必需品ではなくて、趣味性の高い製品をお客様にお届けしているので、まずは我々が楽しくモノづくりをしていなければ、いいものはできないと考えています。いいものができてはじめて、お客様の生活に楽しみとか豊かさを提供できると常々思っていますので、社内でもいい流れ、展開が整ってきていると感じます。また、ありがたいことに皆さんから『最近トラスト元気だよね』と言ってもらえるようになったことにも通じていると思っています」
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