われわれが楽しくモノづくりをすることで良い製品ができ、使う人の生活に楽しみと豊かさを提供できると思っています【株式会社 昭和トラスト 取締役 副社長 飯岡智恵子氏:TOP interview】
まったくの畑違いからトラストへ入社
2002年にトラストに入社した飯岡さんであるが、トラストで働くことになったきっかけはどういった経緯だったのだろうか。 「職安(ハローワーク:公共職業安定所)です。出身が千葉県銚子市なんですけど、銚子はもう最近ですと消滅都市ということで、一番に名前が挙がるような状況なんですね。父親が結構早く亡くなりまして、子どもと母親と3人暮らしで長く銚子で暮らしていくためには、しっかりとした企業で長く働けなければいけないなという思いがありました。その当時、成田空港ぐらいから西に行かないと、希望に沿うような規模の企業は少なかったんです。運転することは苦ではなかったので──というよりむしろドライブは好きでしたから、このエリアで就職先を探してましたら、たまたま職安でトラストの総務の募集があって……。トラストといえばアフターパーツで非常に知名度のある会社だし、グローバル企業ですから面接を受けることにしたんです。 その当時のトラストの平均年齢は27歳、従業員も200数十名でした。若くて勢いはあるんだけれども、渉外活動や交渉事ではスキルが伴ってなかったという問題があったようです。そこで、総務を少し固めようというタイミングだったらしいんですね。それで総務経理の経験があったことでお声がけをいただいたというわけです。その当時、30代半ばでしたけれど、トラストで女性の採用というのは相当なトピックスだったようで……。それで縁故じゃないかとか、誰かの知り合いなんじゃないかと、トラストの社員も思っていたみたいですが、実は職安から、誰も知らないところにいきなり入ってきたというわけです。 父の影響で普通の女性よりは少しクルマの知識があったこともよかったんでしょうね。自分としてもクルマのパーツ会社で働くということに対して違和感はありませんでした。あとはその当時の皆さんが私の経験値を買ってくださったというところが大きかったかなと思っています。今となってはの話になりますが、私の素人感が良かったのかなと……。どうしてもトラストのような職人気質が強くて、嗜好性が強い企業ですと、マニアックでストイックになりすぎてしまう傾向があって、バランスを欠くときがあるんですよね。私は彼らからすると真逆側の人間なので、一般的な感覚で判断をする。それでジャッジがフラットにできたというところが、もしかしたら『自分でちょうどよかったのかな』と思っているんです。現場、開発陣はいいものを作ろうという傾向が強いんですよね。しかし本当にそれに市場性があるのか、お客様が本当に望んでる性能なのか、さらにはコストは見合うのかといったことを、私は逆に開発側のことを知らないのでフラットに判断ができたところが、彼らにとってもメリットになったと思います。また私としても知らないことを彼らに助けてもらい、ちょうどウィンウィンの関係ができたところが、今もうまく作用しているのかなと思っています」
【関連記事】
- 【画像】トラストを復活させた立役者の一人、飯岡智恵子さんのインタビュー風景を見る
- ■モータースポーツを続ける最大の意義は、人材育成にこそあるんです【株式会社キャロッセ代表取締役社長 長瀬 努氏:TOP interview】
- ■ブランドは一朝一夕でつくれません、だから絶対にやめないし、これからも続けていきます【エンケイ株式会社代表取締役社長 三浦信氏:TOP interview】
- ■「できる・できひん」じゃなくて「するか・せえへんか」ユーザーが満足すればいつか返ってくる【TONE株式会社代表取締役社長 矢野大司郎氏:TOP interview】
- ■モノづくりにおいて満足したら終わり。ずっと渇望しているのがいいんじゃないかな【藤壺技研工業 藤壺政宏代表取締役社長:TOP interview】