「よかれと思った指導がパワハラに」…弁護士に聞く「パワハラ」と「指導」の境界線とその見極め方
「指導だと思っていた」「コミュニケーションのつもりだった」…
上司が部下を罵倒したり殴ったり…。そんなわかりやすいパワハラは少なくなった現代の職場。しかし上司にとっては「指導だと思っていた」、「コミュニケーションのつもりだった」など、見極めが難しいグレーゾーンが続々と誕生している。 【漫画で解説】ヤバい…!? 圧の強い長文メール、送っていませんか? 何もかもがハラスメントになり得る時代にリーダーが知っておくべきこととは? 15年にわたり、人事労務の現場で被害者・加害者の双方から相談を受けてきた弁護士・梅澤康二氏に、グレーゾーンの実態を聞く。 ◆「自分が不快に思ったことは全部パワハラ」は、間違い? パワーハラスメントという概念が社会で認知され始めたのは’90年代。バブルが崩壊し、不景気を実感し始めた頃だ。その後、厚労省によってパワハラの定義づけが行われ、’20年には「パワハラ防止法(労働施策総合推進法)」が施行された。これにより、企業のパワハラ防止措置が義務化された。 「明確なルール付けがあったわけではなく、だんだんと表面化していって、ここで初めてパワーハラスメントの概念が法律上に登場した、という流れです」(梅澤康二弁護士/以下同) それでは法律的にどのようなものがパワーハラスメントと定義されるのかというと、以下の3要素をすべて満たすものとなる。 ●優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること ●業務の適正な範囲を超えて行われること ●身体的もしくは精神的な苦痛を与えること、または就業環境を害すること つまりパワハラか否かを法的に判断する場合、この3要素が決め手となるわけだが、世間一般ではパワハラを「道義的な問題」と捉えることが多い。 「テレビなどでよく言われる『相手が不快に思ったらハラスメントですよ』っていうのは道義的な意味だと思いますが、僕はそこをことさら問題視することに、さほど意味はないと思うんです。『私はいやです』と言う人の声を全部取り上げて対応するのは現実的ではないので。 20代、30代の方の中には感覚として『自分が不快に思ったことは全部パワハラなんだ』と捉える人も少なくないようですが、それは極端な考え方だと思いますね」 この15年を振り返ってみると、法的な考え方や枠組みは一切変わっていない。けれど社会ではハラスメントに対する危機感や嫌悪感が拡張している……。そんな思いが肌感として拭えないという。 「人々が、これはハラスメントだと思うレベル感が下がっているという思いは10年ほど前からずっとあります。これは法的な意味でのパワーハラスメントに該当するのだろうかと悩むことも多いですし、被害者側と加害者側で事実に関する認識が異なっているケースがほとんどなんです。 被害者側には加害者への嫌悪感や恐怖心から物事を断定的に捉えたり、過剰に受け止める傾向があるのは否定できないと思います。被害感情が強くなると、物事を多角的に見られなくなりがちであるとも感じます」