【ABC特集】津波直前の最後のメールに“帰りたい” 最愛の妻を必ずこの手で…再会を信じ10年間海に潜り続ける男性
東日本大震災から今年で13年。今も行方不明の家族を捜し続ける人がいます。 「(震災から)13年になるので生きてはいないというのを認めざるを得ないんだろうけど」「でもねやっぱり捜したいですもんね、捜してやりたい」 津波にのみこまれ、行方がわからなくなった妻。そして、果てしなく広い海で、最愛の人を捜し続ける67歳の夫。 「最後のメールに『帰りたい』という一言があったので・・・まだ帰りたがっているだろうなと」 今も、大切な家族との再会を待ち望んでいます。
「(震災前は)家はいっぱいあったんですけどね、すっかりなくなってしまって、みんな高台のほうに」 女川町に住む、高松康雄さん(67)。13年前、妻の祐子さんが津波にのみこまれ、今も行方が分かっていません。
(高松さん)「あそこのガソリンスタンドの辺りが昔の七十七銀行の女川支店があった跡地だそうです。妻がここにいたんだよなと思ったりね、ついつい思い出したりはしますよね」
死者・行方不明者827人、建物の9割が被災した女川町。
妻・祐子さんは海から約100mのところにあった七十七銀行 女川支店で働いていました。地震の後、ほかの行員らと高さ約14mの屋上に避難しましたが、それを超える20mもの巨大津波に襲われました。行員ら計12人が犠牲となり、うち8人が今も行方不明のままです。
一男一女を授かり、幸せだった日々。
震災の日の朝、高松さんはいつも通り車で、祐子さんを銀行まで送り届けました。 (高松さん)「妻は銀行の従業員の通用門、裏口から入っていきました。胸のあたりで手をふって…」 (記者)「その姿は今も覚えていらっしゃいますか?」 (高松)「そうですね、はい」 それが、22年間連れ添った祐子さんの最後の姿でした。
(高松さん)「どこかで生きているかもしれないという気持ちは大きくて、あちこち捜して避難所まわりしたり、浜の方で遺体が見つかったと聞いたら、そっちの方に行ってみたりとかね」 美しかった海が、あの日一変しました。倒壊した家屋、そして人々の営みが海の底に沈んでいました。
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