独裁者からシリアを解放、反体制派の最大課題は統治方法の習得
「政権投げ出し」を計画していたアサド氏
現時点で、次の政権がどのような形で成立するのかは全く判然としない。 ダマスカスを掌握した後、反体制派はアサド政権のジャラリ首相に引き続き職務に就き、政権移行チームが任命されるまで内閣を率いるよう指示した。 しかしスカイニュースのアラビア語版のインタビューに応じた際、ジャラリ氏は将来の統治を巡る質問にほとんど回答しなかった。 同氏の閣僚も、同様に確たる答えを持っていない。アサド政権のハリル産業相はCNNとの電話インタビューに応じ、「我々は首相と話をした。方向性としては今後も作業を続けるべきということだった。通常の生活を必ず取り戻す。権力移行に向けた政府がこれから樹立されると聞いているが、それがいつになるのかは分からない」と述べた。 反体制派が直面する権力の空白状態は、アサド氏からの餞別(せんべつ)と見なすこともできる。 反体制派が2週間前に進攻を開始してから、アサド氏は公式声明を一切出していないが、見たところ「自らの政権と国民、国を投げ出し、混乱の中に放置すること」を既に計画済みだったようだ。情勢が悪化すればそうするつもりだったと、ジャラリ首相は述べた。「恐らく国民にメッセージを送る意図があったのだろう。『私か、混乱かのどちらかだ』と」 ジャラリ氏はモスクワへ亡命する数時間前のアサド氏に声をかけ、反体制派の動きに関する懸念を伝えた。しかしアサド氏は関心を示さなかったという。 「状況は致命的であり、人々はホムスを脱出して海岸へ逃げている、軍隊は崩壊している、そう伝えても答えは「明日我々が対応する」というものだった」「私は驚いた」(ジャラリ氏)
アルカイダから政治家へ
現時点で、シリアの直近の将来はHTSの指導者ジャウラニ氏(本名はアフマド・シャラア氏)と共にあるようだ。同氏は9日午前にジャラリ首相と会談した。 ジャウラニ氏は7日にダマスカスに到着。自身が育った街への20年ぶりの帰還だった。20年前、同氏は街を出て国際テロ組織アルカイダに加わり、イラクで米軍と戦った。4年間、シリアのアルカイダ系組織「ヌスラ戦線」を率いたが最終的にこれと決別。敵対する過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」との闘争を宣言し、その指導者の殺害で指揮を執った。 現在、ジャウラニ氏は変革と穏健化に関するメッセージを発信している。先週はCNNの取材に答え、シリアの武装した反体制派が最終的に計画していることとして、政府の樹立を挙げた。その政府は各関係機関と「国民が選ぶ評議会」によって定義されるという。 ジャウラニ氏が率いる集団は、今回の進攻に加わった多くの反体制派グループの中でもより組織化された部類に入る。過去4年間には、北部イドリブ県に半技術系官僚で構成する「シリア救国政府」を設置し、400万人を統治してきた。救国政府に所属する政治家は既に国内の主要都市へ派遣され、統治に当たっている。そこには先週制圧したシリア第2の都市、アレッポも含まれる。ダマスカスでは自前の警官隊を配備し、街中の治安を確保しようとしている。 「イドリブ県は小さく、資源もないことを念頭に置いてほしい。我々はそこで、これまで多くのことを成し遂げてきた」。今後の権限移行チームに関する協議の中で、ジャウラニ氏はジャラリ首相にそう告げた。 とはいえ、当該のイスラム組織が広大な領土を支配下に収めたことは一度もない。その領土は多様な宗教と少数民族、武装した反体制派勢力を数多く抱える一方、資源には乏しい。 米シンクタンク、ワシントン近東政策研究所の上級研究員、アーロン・Y・ゼリン氏は「イドリブ県は統治する領域としては格段に小さい。人口の4分の3は避難民なので、国連や非政府組織(NGO)から支援の提供を多く受けられる」「HTSは人口の4分の1のみに注力すればよかった」と指摘した。 そのイドリブ県においてさえ、ジャウラニ氏は政治的脅威を排除する取り組みに数年を要した。その間、統治対象の住民からは、生活状況や不当な拘束に対して抗議の声が上がった。 現在同氏は、権限の移行を経てシリア国民2500万人を統治する政権を打ち立てようとしている。内戦中に国外へ脱出した600万人もそこに加わる。 それではまだ足りないとでも言うように、ジャウラニ氏は一方でトルコの支援する数十の武装組織への対処も迫られる。それらの組織は政権移行期に脇へ追いやられるのを拒むかもしれない。またシリア北東部では強力なクルド人の武装グループが領土を広範囲に支配している。 さらにはイランを後ろ盾とする強力な民兵組織が隣国イラクにいるのも懸念材料だ。