【能登半島地震】輪島にある“町唯一のスーパー” 「暗い顔できない」「復興元年に」店主の奮闘 町の再生へ…目指す未来は?
能登半島地震から1年。石川・輪島市にある、町で唯一のスーパーが奮闘しています。地震後は停電しても店を開け、去年9月の豪雨も乗り越えて営業を再開。住民たちの心のよりどころにもなっています。店主はみんなで町を再生しようと、新たな挑戦を始めます。
■地震で壊れた家、豪雨で流された木々
能登半島の北部に位置する、輪島市の町野町(まちのまち)。地震で倒壊した家屋の多くは手つかずな上、豪雨で流された木々が積み上がります。 この町で営業を続ける「もとやスーパー」の入り口には手書きの看板のほか、ピアノも置いてありました。店を営むのは本谷一知さん(47)。藤井貴彦キャスターが取材で訪れ、本谷さんに店内を案内してもらいました。 藤井キャスター 「奥には生鮮食料品もあるんですね」 本谷さん 「これは地元のお客さんが、ちゃんと生ものを買えるような場所ということで。この辺、野菜・お肉でメインがお魚ですね。朝どれのお刺し身は飛ぶように売れます」
■商品のように陳列された支援物資
スーパーに並ぶ刺し身は各地から届くといいます。そして、全国から届くものは商品だけではありません。「物資コーナー」と書かれた一角に、日用品や服が置かれています。「これは全国から届いた支援物資なんですよね。支援物資を陳列してるんですよ」と本谷さん。 藤井キャスター 「支援物資はただ(なんですね)」 本谷さん 「全部0円で(値札を)つけてます。きれいに並べて」 支援物資も商品と同じように並べ、手に取りやすくしているといいます。本谷さんは「楽しんで支援物資を選べるという形です。1円にもならないけど」と言います。 全国から物資を託されるのは、もとやスーパーが町で唯一のスーパーとして、住民の生活の中心となっているからです。
■地震で停電も…1日も休まず営業
1946年に祖父が創業し、本谷さんで3代目。1日に200~300人が訪れる町の台所として、商売を行っていました。 そんな中、本谷さんは去年に2度被災しました。1年前の地震では自宅が全壊。スーパーも商品が散乱して停電が続く中、懐中電灯で店内を照らしながら、1日も休まず営業を続けてきました。