【能登半島地震】輪島にある“町唯一のスーパー” 「暗い顔できない」「復興元年に」店主の奮闘 町の再生へ…目指す未来は?
■「みんなで町をつくる」という意識
2度の被災を経験しながらも町唯一のスーパーの明かりを絶やさない本谷さんは今、このスーパーの形を変えていこうとしていました。 豪雨前まで商品棚が並んでいた場所には、ベニヤ板が置かれていました。そこにはスーパーの枠を超えて、復興拠点を目指す未来が描かれていました。その名も「基屋(もとや)base(ベース)」です。レイアウト図を示しながら、本谷さんが教えてくれました。 「ここのスーパーマーケット(の部分)は縮小しようって、ここだけは僕書いたんですけど。ここ漫画置こうよとか、ここVIPルームにしようよとか、みんな関わって楽しくやってくれたんですね」 基屋baseでは宿泊施設なども併設する計画です。本谷さんは「シェアキッチンあったらいいよねって(地元の人が)言って。名前を変えちゃおうよと。当て字で、基地にしようってことで。みんなでつくっていければ」と説明します。 みんなで町をつくるという意識です。
■「復興元年」に…町そのものを再生
藤井キャスターは「今後、どのように地域に根ざしていきたいと思っていますか?」と尋ねると、本谷さんは「おこがましいですけど、スーパーを中心にした町づくりを1事業者がやって、地方再生のヒントになればいいなと思っています」と答えました。 目指すのは、町そのものの再生です。 藤井キャスター 「災害前はそんなことをやろうと考えていらっしゃらなかったんじゃないですか?」 本谷さん 「不便だっていうことでずれる(町を離れる)方もいるんですけども、この町に可能性を感じている人がいる。ゼロになったっていうことで、新しく町を再建する方向にいっているんですよね」 「今はまだ大きいことはできないけど、元気出したり、笑顔出して、空元気は出せるじゃない。(2025年から)復興元年と位置づけて、高揚感をもってやっていければなと思っています」 (1月1日『news every.』より)