【能登半島地震】輪島にある“町唯一のスーパー” 「暗い顔できない」「復興元年に」店主の奮闘 町の再生へ…目指す未来は?
■店のガラス戸を突き破った流木
しかし去年9月、能登半島豪雨に襲われます。店内に入ってきた濁流が到達した壁を、本谷さんは指で示しました。 本谷さん 「あの、色が変わってるところ。あれが全部、水来たところです」 藤井キャスター 「あんな高いところまで」 本谷さん 「180(cm)あるんですけど」 豪雨の起きた9月21日に本谷さんが撮影した映像では、川が氾濫し、道路に水があふれました。「すぐそばまで来ている」という切迫した声が収められていました。 「入口で水をせき止めてたんですよ。でも丸太がだんと突っ込んできて、一気に水が入ってきて」と本谷さんは振り返ります。流木がガラス戸を突き破り、店は濁流にのまれました。
■豪雨直後「この場所では無理やわ」
一時は孤立状態となった町野町。豪雨の直後には、本谷さんも「この場所での商売は無理やわ。どう考えても。お客さんの話聞いていると、もうこれで無理やなって、町野から出るという話もちらほら聞くし」と漏らしていました。 一時は店を閉めることも考えたといいますが、支援の手に支えられ、店を続けることを決意。豪雨から2か月あまりで、本格的な営業を再開しました。 本谷さん 「1か月ぐらいで1200人、全国から来てくれた。ボランティアさん、泥かきだけで1200人来てくれて。みんな気持ちだけで来てくれた。そういう人たちに、暗い顔できないじゃない。それに応えたいというのが人間だと思うんだわ」
■「みんな寂しいから」…住民が集う理由
店は住民にとって、スーパーだけではない場所になっています。スーパーのそばでは地域の人たちや、全国各地から集まったボランティアの人たちの姿がありました。炊き出しが行われ、取材した日はタイ料理が振る舞われていました。 仮設住宅で暮らす20人ほどの住民が集まっていました。ここに来るのは、食事のためだけではないといいます。 住民からは「みんな寂しいからここ来て、友達同士で話し合って、不満を出していくわけ。来る時はみんな沈んだ顔だけど、帰る時にはみんなにこやかに帰っていく」「(スーパーがないと)みんな孤独。閉じこもってただけだった」といった声が聞かれました。 地元住民が笑顔になれる場所。この場所を提供しているのも本谷さんです。 藤井キャスター 「もとやスーパーは皆さんにとってどんな存在なんですか?」 「なかったらだめなところやね」「みんなの救世主やわ」と皆さん。もとやスーパーは、町の生活を支えるだけでなく、心のよりどころにもなっています。