今も「もったいない」が根底に強くある――料理人・道場六三郎91歳が語る戦中戦後の食料難 #戦争の記憶
大勢の人間が一斉スタートで修業して、なぜ僕が頭角を現すことができたのか、ですか? 僕は若い人によく言うんだけど、まずは予定や目標を持って行動することって。小さくても店を持ちたいとか、大きなホテルの料理長になりたいとか、ね。そして次は1年か2年ごとの目標を持つ。難しい技術のこれこれを必ず1年でマスターするとか。
僕は前掛け締めて調理場に入ると、人間が変わったようになりますよ。ぼーっとはしていない。「きれいに速く、きれいに速く」っていつも思ってる。仕事は段取りですから、三手先くらいを考えて、次は何、次は何、と考えながら仕事をします。今でもこれは変わりませんよ。
食べ物に不自由をしたから「もったいない」がモットー
戦中、戦後にかけて食料に困った体験があるから、いまだに「もったいない」という言葉が僕の根底に強くありますね。 魚でも肉でも全て使い切って、成仏させたい。例えばアマダイのウロコなんか、普通は捨てちゃうんだけど、これ、揚げるとパリパリになっておいしい。オコゼの頭もスープ取ったり、煮こごりにしたりね。今でもね、魚のそういう扱いさせると、僕、うまいんじゃないかなあ。野菜だって、セロリやイモやニンジンの皮でも僕、上手に使うんですよ。そういったところに、隠れたおいしいものがあるんでね。 うち(銀座ろくさん亭)のメニューに「じいさん焼き」というのがありますが、あれは昔、僕の父親が七輪の上に貝鍋のっけて、いろんなものを煮ながら食べていたのがヒントです。イカの塩辛にお酒を入れてソースを作ったのも、僕が一番早いかな。パスタに肉や野菜をうまく取り合わせて、塩辛ソースで仕上げる。これがうちのじいさん焼きです。
今はなんでもあり余って、食べ物に不自由するなんてことはほとんどない時代になりました。しかし僕ら世代は、戦後に不自由なつらい思いをしたことが、今、生きるための糧となっていると思います。 そういうつらさこそが、僕の基礎を築いたんだと思う。だから今、コロナウイルス騒ぎがあっても、心が乱れない。ああいう過酷な時代を生き抜いてきたんだから、この苦境もどうってことないと、僕は思うわけですよ。 冬があれば春になる。夜があれば朝が来る。悪いウイルスもいなくなって、明るい時代が必ず来ると思います。僕は全然、悩んでなんかいませんね。 道場六三郎(みちば・ろくさぶろう) 1931年、石川県生まれ。和食料理人。料亭で修業を重ね、71年に「銀座ろくさん亭」を開店。93年から、伝説的料理番組『料理の鉄人』に出演し、初代「和の鉄人」として活躍。今も「銀座ろくさん亭」で毎月の献立を創作し、YouTubeチャンネル「鉄人の台所」で家庭料理の奥義を伝えている。