日本における「愛犬雑誌」の功績とその歴史 人と犬の暮らしを支えた情報源のこれからはどうなる?
出版不況のなか、紙の雑誌が次々と姿を消している。インターネットやSNSで簡単に情報が得られる時代になったが、日本人と犬たちの生活をより豊かにするための情報として役立っていたのが「愛犬雑誌」だ。今回はそんな雑誌の歴史を辿ってみよう。 ■「愛犬雑誌」は日本でどのように誕生し、発展したのか? 紙の雑誌が持ちこたえられなくなり、次々に廃刊している。情報はネットで、安く入手できる時代だ。だが雑誌には情報以上のものがある。お茶を飲みながら、あるいは寝る前にペラペラとめくって、何となく時を過ごすのに最適なのだ。 しかし今や、こうしたユル~い時間の過ごし方自体が消滅している。社会が高速で動いているからである。コストパフォーマンス(略してコスパ)とタイムパフォーマンス(略してタイパ)で、金銭も時間も効率が優先される。配信ドラマも二倍速で視聴される。 一方ネットがなかった時代、犬の雑誌は貴重な情報源であり、愛好家同士をつなぐネットワークの役割も担っていた。まず明治24年(1891年)、猟友社から『猟の友』が創刊された。明治維新で洋犬が入ってくると、一部富豪の趣味だった狩猟が、西洋式ハンティングとして一般人に開かれたからだ。 この雑誌は明治33年(1900年)、日本狩猟協会に引き継がれ、『猟友』と改名した。大正14年( 1925年 )には、著名な狩猟家の竹本恭太郎によって『狩猟と畜犬』も創刊されている。どちらも国会図書館に、デジタル化されず紙のまま保存されている。 一般向けの愛犬雑誌第一号は、前回紹介した大正6年(1917年)創刊の『犬の雑誌』である。ヒゲタ醤油創業三家の一つである田中家の次男、田中浅六が発刊したもので、日本に近代的な畜犬文化を広めたいという高い理想を掲げていた。 こちらも国会図書館と東大の明治新聞雑誌文庫に、やはり現物のまま所蔵されている。内容も興味深い。欧米の最新情報が掲載されている。 愛犬家訪問という連載もあり、主に華族が紹介されている。近代的な畜犬文化を構築しようという、田中の訴えに応じた人々の階層がわかる。特に筆者の関心を引いたのは、当時の日本犬に対する評価の低さと、動物愛護論の水準の高さだ。 報知新聞記者が書いた「欧州戦線における犬」という記事もある。ちょうど第一次大戦中であり、視察に出かけた記者が、牧羊犬が負傷者を発見して衛生兵を現場に導く様子に感心している。この牧羊犬こそ、投入されたばかりのジャーマン・シェパード・ドッグだった。当時は日本でも「独逸牧羊犬」と呼ばれていた。 注目すべきは動物愛護論である。外語学校の教授や文学博士などが、多くの人が動物虐待を批判し、愛護論を展開している。中でも文学博士の本田増次郎による「動物愛護に就いて」という一文は、今日なお健闘に値する重要な指摘をしている。 いわく、欧米に行った者は表面だけ見てきて美化するが、彼の地の虐待は日本よりひどい。ただ一方で、虐待防止活動が盛んなのは尊敬に値する。日本人は怪我で苦しんでいる動物を傍観しており、これは消極的虐待にあたると本田は述べる。文化の違いを考慮した冷静な分析である。 昭和に入ると愛犬雑誌が続々と登場した。しかし、同時に日本は戦争に向かって走り出す。犬への風当たりが激しくなるにつれて雑誌は苦戦を強いられ、廃刊に追い込まれていった。そんな中で最大の部数を誇り、犬界が崩壊する昭和18年(1943年)まで奮闘したのが『犬の研究』である。 時事新報の記者だった白木正光が創刊した雑誌で、専門的な研究から愛犬自慢まで網羅した多彩な内容である。様々な特集を組んで飽きさせず、多くの支持を集めた。 国会図書館のデジタルコレクションに所蔵されていて、利用者登録をしていれば自宅でも読める。当時の雰囲気が伝わってきて、時代の資料としても興味深いので、ぜひご覧いただきたい。 他誌が時流に負けて次々に廃刊していくなか、『犬の研究』が最後まで踏みとどまることができたのは、白木の経営手腕によるものだった。単に内容が面白いというだけではなく、時代の空気にも敏感だったのである。 昭和13年(1938年)に国家総動員法が施行されて節米運動が始まると、『犬の研究』はいち早く呼応して誌面に反映させ、「食糧節約のために小型犬を飼おう」と訴えた。昭和16年(1941年)12月に開戦の詔勅が発表されて太平洋戦争が始まると、巻頭言で「今こそ団結の時」と訴えている。 さらに空襲が始まると、灯火完成下で放し飼いに対する非難が起きているとして、必ず紐でつなぐこと、夜は外に出さないことなどを繰り返し訴えた。さらに社長の白木は、非常時に犬界は大同団結する必要があるとして、日本シェパード犬協会と帝国軍用犬協会、そして日本犬保存会の合同を訴えて協議の場も設けている。 しかし、昭和18年(1943年)末には犬の業界全体が壊滅し、『犬の研究』もついに矢折れ刀つき、自然消滅のような形で廃刊に追い込まれた。 だが戦争が終わると、犬業界は焼け野原から立ち上がった。戦後、最初に創刊されたのは『愛犬の友』である。この雑誌は長く犬雑誌の中心的存在だった。そのため2020年7月の休刊は、一つの時代の終わりを物語るものとなった。 『犬の研究』が戦前の犬雑誌界をリードし、戦争末期まで奮闘できたのは、発行人である白木正光の情熱によるところが大きかった。『愛犬の友』も同様で、誠文堂新光社の創業者である小川菊松の、強烈な個性が支えだった。 小川は15歳で上京し、書店員から始めて誠文堂を興した。戦後初の伝説的大ベストセラー『日米会話手帳』を生み出した、立志伝中の人物である。『愛犬の友』も創刊号から意欲的な内容で、展覧会も開催している。 日本犬の普及にも力を入れた。欧米に視察に行って、日本犬を海外に普及させるためにはどうしたらいいか、座談会を開いて議論もしている。『愛犬の友』は68年にわたって発行を続け、その内容は戦後畜犬史の貴重な資料となっている。 今はオンラインでweb雑誌になっているが、ネットの性質上、何度も読み返すものではなくなった。一方で紙の雑誌には、溜まると処分しなくてはならないという弱点がある。web情報は消えないのが強みで、データとして蓄積されていく。 人間の生活には、どちらも必要なのではないだろうか。媒体は多様な方が視野が広がる。難しいだろうが、季刊でもいいから紙の犬雑誌が残ることを願いたい。アナログとデジタルの併用で、幅と奥行きのある豊かな生活文化を維持したい。
川西玲子