「才能あるのに売れないなんて、寂しいじゃない」 渡辺正行から小沢一敬へ。受け継がれる「若手芸人の登竜門」#昭和98年
両者のどちらでもない芸人たちの最大の目標は、テレビに出ることだった。だが、若手が腕を磨く場所がなかった。渡辺は、所属事務所に関係なく芸人がネタを披露できる場の必要性を強く感じていたという。 「若い芸人さんはいるし、若いお客さんもいるんだけど、やる場所がなかったんだよ。至近距離で若い芸人を見られる場所がなかった。だからこの場所をつくったんです」 ベテランコンビ・ブッチャーブラザーズのぶっちゃあは、「ラママ」第1回のゲストとしてステージに立っている。
「当時は、師匠持ち、養成所出身、そしてテレビ芸人の3種類がありました。僕たちみたいに、テレビに出ることを目標とする芸人たちがどんどん人気になっていった時期でした。『ラママ』の第1回のゲストは、僕たちととんねるず。まあ、すごい人気でしたよ」 会場にはとんねるず目当ての客が350人も入った上に、外には150人もの客が出待ちをしていたという。 「『ラママ』みたいな場が求められていたんだな、って思いましたよね」 「ラママ」が世間の注目を浴びるまで長い時間はかからなかった。ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ネプチューン、バナナマン……。多くのスターがこの舞台から羽ばたいていった。
「お金には全然なんない」 赤字が出ても続けた理由
小沢ももともとは出演者の一人だった。 「『ラママ』に初めて出たのは、たしか1999年8月。地元から東京に出てきたはいいけど、アテにしていた劇場が閉館してしまい、どこにも出られなかったんです。相方が『ラママというライブがある』ということを調べてきて、オーディションに足を運びました」 小沢はすぐにライブの勢いに魅了された。熱を持った客が集うライブのステージに立つことは快感だった。常に面白いことを発信し続ける「ラママ」という場所自体が求心力を持つようになっていた。 渡辺は、同じ会場で続けることにこだわった。 「大手と比べるのもあれだけど、吉本には常に劇場がある。そういう固定の場が欲しかったんです。お客さんは、ここにきたら今のトレンドがわかる。芸人は、『あのライバルはこんなことやってんだ』と知ることができる。そういう場所にしたかった。お金? お金には全然なんない。お客さんが入らなければ赤字になりますしね。今も、幕を張ったりパネルを立てたりするのは、若手がボランティアでやってくれています」