「才能あるのに売れないなんて、寂しいじゃない」 渡辺正行から小沢一敬へ。受け継がれる「若手芸人の登竜門」#昭和98年
やがて、東京のライブシーンでは知らない者はないお笑いライブへと成長した。それに伴い、オーディションは熾烈を極めた。 オーディションには渡辺も参加して、すべてのネタに目を通す。そこで忌憚ない意見をぶつける。2008年のM-1で準優勝し、現在はテレビにラジオにと幅広く活躍するオードリーも、若手の頃にアドバイスをもらっている。 「当時、彼らはいろんなネタを試行錯誤していた時期でね。春日と若林が噛み合わない感じを前面に出した漫才を始めた頃だったのかな。全然売れてなかったけど、僕はそれを面白いと思ったんです。だから『お前ら、そのままでいいよ』って言ったんです。『M-1に出れるよ』と言ったら本当に活躍したね」
あちこちで開かれるお笑いライブ 「ラママ」は役割を終えた?
幾度のお笑いブームを経て、お笑い芸人が大きなお金を生み出すと分かってから、どこの事務所もお笑いに力を入れ始めた。お笑いライブがそこかしこで開かれるようになり、どの事務所に所属していても、あるいは所属していなくても、ネタを披露する場所を得られるようになった。 「ラママ」をやめようと思った理由を、渡辺は「俺も年だからさ。400回ってキリがいいじゃない」と笑って話すが、数あるライブの一つになってしまったとは言わないまでも、ライブシーンの歴史を作った「ラママ」は一つの役割を終えた――そう感じたのだろう。
では、小沢はなぜ、渡辺を引き留めたのか。リーダーの心意気を受け継ごうと思ったんですか?――そう水を向けると、小沢は「そんな難しいことを考えなくていいじゃない」と笑う。 「僕が『ラママ』の志を継承したとか、みなさんは美化しようとするけど、そんなことないんです。ただ、リーダーがつくって、自分が好きだった遊び場をなくしたくないと思ったんです。だって、ネタを見てるのって楽しいんだもん。みんなここに笑いに来てるんです。それをなくしたくないでしょ。理由なんてそれだけでいいじゃないですか」 「なくなってしまうのが単に嫌だっただけ」と照れる小沢だが、「ラママ」という特別な場所がなくなってしまうことは、芸人にとって大きな損失だと考えたことは想像に難くない。