「才能あるのに売れないなんて、寂しいじゃない」 渡辺正行から小沢一敬へ。受け継がれる「若手芸人の登竜門」#昭和98年
生殺与奪の権を握る観客は、芸人たちの打ちひしがれる様子を面白がっているフシもある。 「あそこのクダリを、ぎゅっと短くしたらよかったかもね」 ウケが悪かったコンビに、渡辺がやさしくアドバイスする。彼らが悔しそうに退場するや、次の芸人のネタが始まり、観客はふたたび真剣な顔で札を握りしめる。 ライブ後半は、テレビや賞レースで実績を残している実力派芸人が会場を盛り上げるのがお約束だ。 この日のトリをかざったのは、お笑いトリオ・や団。2022年のキングオブコントで3位に入り、今年も決勝進出を決めた実力派コントトリオだ。
2007年の結成以来、長い下積み時代を過ごした。リーダーの本間キッドは「『ラママ』に出ることが最初の目標だった」と振り返る。 「『ラママ』は多くのスターが輩出した、東京の伝説的ライブでしたから」 出演するには、オーディション(ネタ見せ)に合格しなければならない。や団がオーディションを受けにいくと、渡辺や作家陣が具体的なアドバイスをくれた。 「今でも覚えているのが、『ツッコミが急に怒るのが違和感がある。その前にボケが周囲をイラつかせるシーンを作って、イライラが溜まっているように見せたら?』と言われたこと。そこを修正したら、ものすごくウケるようになりました。ストーリーの矛盾や感情の違和感をいつも的確に指摘されて、そこを直すと本当にネタが良くなった。それがうれしかったですね」 本番では客の反応を見て、さらにブラッシュアップ。それを繰り返した。 「『ラママ』に出られるようになってから、賞レースで上まで行けるようになりました。今でも若い芸人が憧れるライブの一つだと思います」
師弟制から養成所への過渡期 芸人が腕を磨く場所がなかった
小沢が「ラママ」の主催者に名を連ね、渡辺と一緒にステージに立つようになったのは、つい半年前のことだ。その背景にはリーダーの苦悩があった。 「リーダーは、400回を機に『ラママ』を終わりにしようと思っていたんですよ」(小沢) それを止めたのが小沢だった。マネージャーからそのうわさを聞いて、すぐに声をかけたという。 「今でこそ、各プロダクションが事務所主催ライブを開くのは当たり前だけど、リーダーが(『ラママ』を)立ち上げた当時は、劇場を持っている吉本興業以外は、定期的にライブを開くことはなかったんです」 それまでの主流は師弟制だった。やがてダウンタウンに代表されるお笑い養成所出身者が台頭するようになるが、当時はその過渡期にあったといえる。