「合格できなかった子にもう一度受験させられないのが中学受験」 “塾生全員、第1志望合格”を目指す講師たちの葛藤
都内で中学受験塾「應修会」を主宰する茂山起龍(きりゅう)さんのAERA with Kids+連載「中学受験、その先に」。中学受験塾・希学園首都圏で学園長を務める山﨑信之亮(やまさき・しんのすけ)さんと対談。同い年で、中学受験経験者、ともに19歳で中学受験塾の講師を始めたという共通点の多い二人。塾講師になった理由や、中学受験生に対する思いをお聞きしました。 【マンガ】中学受験「全落ち」した子はかわいそう? 大人の“勝手な思い込み”に気づかされた、子ども同士の会話(全35枚) ■中学受験を経験した二人が、塾講師になった理由とは ――お二人は大学生の頃から塾講師としてアルバイトをされていました。なにがきっかけだったのでしょうか。 山﨑信之亮(以下、山﨑) 僕は中学受験をして灘中学校に進み、周囲の多くが東大を志望していたこともあり、東大を目指すことにしました。必死に勉強をしていたわけでもないのに、なぜか受けたら合格すると思っていたんです。当然ですが、現役で不合格。人生で初めて「入試で落ちる」という経験をしました。一度立ち止まり、改めてどこの大学に行きたいかと考えると、やはり東大に行きたい。父は高卒なので、受からなければ最終学歴は「高卒」で十分。それくらいの気持ちでした。 一浪して東大に合格し、三鷹寮に入り、自ら学費を払わなければ、となったときにアルバイト先として思い浮かんだのが、中学受験のときに通っていた塾「希学園」でした。半年間の修行を積んだ後、希学園の卒業生でもあるから、ということで「小六桜蔭コース」という大役を任されました。 大学受験を終えたばかりの頭で、担当クラスの小学生たちと話をしたら「みんな賢いな」と思って。当時教えていたのは国語だけでしたが、丁々発止のやりとりもでき、なかなかいいじゃないか、楽しいなって。 茂山起龍(以下、茂山) 僕は4人きょうだいの一番上で、僕が19歳になったときに一番下の妹が中学受験をすることになったんです。そのときには、僕がかつて中学受験をしたときに通っていた、とても面倒見のいい町の塾はなくなっていて。大手の受験塾に通うことになったのですが、入塾して数ヵ月経ってもあまり先生の話はせず、僕が塾に通っていた頃の感覚とはなにかが違うな、と思ったんです。