「新潮文庫」の謎 なぜ、名作・傑作がそろっているのか ヒットの軌跡・新潮文庫(上)
「天アンカット」と「スピン」の理由
長い歴史を重ねる間に、細やかなバージョンアップや改良を重ねてきた。読みやすさを高める効果が大きかったのは「文字サイズの拡大」(佐々木氏)。戦後は8ポイント時代が長く続いたが、段階的に引き上げて、現在は9.25ポイント。端数のあるポイント設定に試行錯誤の跡がにじむ。検討と実験を重ねて、ストレスを感じずに読みやすいポイント数に整えた。 視線を呼び込みやすいカバーイラストや配色の装丁が増えたのは、近年の目立った変化だ。カバーの折り返し部分にあたる「そで」も変えた。かつては空白だったが、著者の紹介を印刷するようにした。装丁の細部にまで工夫を凝らせるのは、ブックデザインの専門部署「装幀(そうてい)部」で装丁担当のデザイナーを抱える、老舗出版社ならではの強みだ。 逆に、ずっと変えていないところもある。「天アンカット」はその代表例だ。「天」というのは、書籍の上面。一般的な書籍造本では断裁面がきれいにそろっていて、フラットな天になっている。三方を化粧裁ちするのは今では大半の書籍に共通する仕様だ。しかし、新潮文庫はあえて切りそろえず、凹凸を残した天アンカットを貫いている。 もう一つの変えていない体裁がこげ茶色のスピン(しおり)だ。国内の文庫本でスピンを添えているのは今では新潮文庫だけだという。 製本の際にスピンを貼りつけるから、天を断裁できないという通説があるが、事実ではないようだ。現在の造本技術ではスピンを添えても、天を切りそろえることは可能だという。それでも新潮文庫がコストをいとわず、この体裁を貫いているのは「かっこいいから。美学のようなもの」と、佐々木氏は明かす。 現在でもハードカバーの書籍ではスピン付きが珍しくない。いわばスピンは「本らしさ」を示す目印のようなものだ。文庫は小ぶりで割安だが、読むに値する書物であり、そのことに抱く新潮社の自負を、スピンは物語る。 天アンカットやスピンで例外的な仕様を残すのは、「コスト要因になり得る」(佐々木氏)。スピンが新潮文庫だけに残っているのは、他社がコスト削減の意味でやめていったからで、負担が小さくないことがうかがえる。しかし、こうしたやや古風な体裁は、工業製品のように統一された見え具合に比べ、どこかヒューマンなたたずまいを帯びる。 スピンは本との付き合いがどこまで深まったかを、読み手が自らページにとどめる印だ。天アンカットには袋状の部分をペーパーナイフで切り開きながら読んだ時代の風情も薫る。1914年創刊の新潮文庫らしいこだわりといえるだろう。佐々木氏は「一種の文化的プライド。やめるつもりはない」と言う。 本文の用紙に黄色みを帯びた赤系を用いている。新潮文庫専用の用紙だ。真っ白い用紙に比べて、「目にやさしい」(佐々木氏)という。主に明朝体の文字を使っているのも、文庫本サイズでも目の疲労を抑えやすいようにという配慮による。