TOKIO城島茂「自分にできることを問い続けたい」福島で被災し共に歩み続ける13年 #知り続ける
「もう、ありがたいのひとことです。県民のみなさんも、県庁の方も含めてそう言ってくださって。普通だったら、お叱りの声があって然るべきだと思うんです。知事とはたびたびご一緒させてもらっていて、この件はお礼の電話でお話しさせてもらったんですけど、『やはりこんなときこそTOKIOをという声が多くて』と伺いました。正直、涙が出そうになりました。助けられているな、また恩返しをしていかなきゃなと思いました」
それぞれの生きた証しを刻む
インタビュー中、城島の表情が最も和らいだのは、TOKIO-BAで見た光景の話をしていたときだった。
「池に、イトトンボが2匹飛んでいたんです。つがいだったんですが、メスが卵を産んでいるところに、オスが付き添って守っているんです。その光景を見たら、こんなに小さくても大切な命を次につなげているんだと思いました。 自分が生きた証しって、最大の足跡は次の世代にバトンを渡すことかなと思うんです。TOKIOが大好きな言葉なんですけど、共に創り上げると書いて、共創。TOKIO-BAはそんな場所にしたいんです。僕らが教わってきた創る喜びを次の世代に伝えられたらいいですね。例えば、ここを家族で訪れて、5年後、10年後に大切な人と来て、そのふたりが結婚して、次の世代と一緒にこの場を訪れる。そのときTOKIO-BAに『これ昔、お父さんが作ったんだよ』と語り継げるようなものがあったら面白いし、それぞれが生きた証しが刻まれる場所になったらいいなと思っています」 歩みを止めない城島に、活動の根源にあるものは何かと問いかけると、20年以上にわたって福島で活動をするなかで見てきた「師匠」の話を口にした。
「技術を教えていただいた方を尊敬の意味を込めて師匠と呼んでいるんですが、みなさんに共通することがあるんです。DASH村でTOKIOに農業を教えてくれた三瓶明雄さん(故人)は、カンナも重機も何でもできるスーパーおじいちゃんだったのに、口癖が『まだまだ』でした。他の福島の方も同じことをおっしゃるんですよ。その道のプロは、一様に自分の現状に満足していない。その背中を見ていたら、師匠たちのように日々努力しなきゃと思うんです。まだまだ、と言い聞かせて常に自分にできることは何か、問い続けていきたいです」
--- 城島茂 1970年生まれ。奈良県出身。1994年アイドルグループTOKIOのリーダーとしてデビュー。2000年からバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画で、福島県浪江町でDASH村の活動を始め、村の開墾や農作物づくりなどに携わる。東日本大震災後、風評被害に苦しむ福島の農産品などのPR活動に従事。2021年(株)TOKIOの社長に就任。福島県西郷村で何もない場所から共に創り上げていく「TOKIO-BA」プロジェクトを開始。