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「原発事故があった福島だからこそ、環境にやさしいコットンを」風評被害乗り越え届ける茶綿 #知り続ける

佐々木航弥映画監督・映像ディレクター

「原発事故があった福島だからこそ、環境にやさしいコットンを作って発信していきたい」。そんな思いから、福島県いわき市を中心にオーガニックコットンの栽培を続けている団体がある。「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」。代表の吉田恵美子さん(66)は、2011年3月の福島第一原子力発電所の事故による農作物への風評被害に心を痛めていた。そこで思いついたのが、「食べ物がだめならば着る物をつくればよい」ということ。2012年春にプロジェクトを発足させると、風評被害や後継者不足から耕作放棄地となってしまった畑を借り受け、有機栽培の綿畑を順調に増やしてきた。ただ、事故から10年あまりがたち、活動は曲がり角を迎えている。活動を支える各種の補助金が減っていく一方、収穫したコットンの販売先を失い、多くの在庫を抱えてしまった。このままでは活動の継続は難しい。「自分たちの代だけでこのプロジェクトは終わりではない。次の世代に継承していくことが大事」。こう考える吉田さんは、苦境をどう乗り越えようとしているのか。

●「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」とは?

コットンの収穫の様子(画像提供:吉田さん)
コットンの収穫の様子(画像提供:吉田さん)

2023年12月、いわき市郊外の綿畑で、埼玉県からやってきたボランティアら約10人が春に種を植えるために畑を整える作業に汗を流していた。「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」代表の吉田恵美子さんは、県内外のボランティアらとともに、東日本大震災後に耕作放棄地となってしまった畑を借りてコットンを育てている。

震災の後、福島の農業は原発事故による風評被害に悩まされた。農業をやめる人が相次ぎ、耕作放棄地は増えるばかり。「このままでは福島で畑をやろうという人がいなくなってしまう」と吉田さんは危機感を抱いた。そこで考えたのが、食料ではなく衣料になる綿花の栽培だ。吉田さんに畑を貸している永山進さんも、農業をあきらめかけていたひとりだ。

「妻と(原発近くの)浪江町に住んでいたのだが、原発事故の影響で実家があるいわきに戻ってきた。実家には父が持つ畑があって、自分も何か作ろうと思ったが、風評被害もあるから難しいとあきらめていた。そんな中で吉田さんに出会い、コットンを育てないかと声をかけてもらった。今では色んな人たちとも交流ができて、楽しく畑をやらせてもらっている」。

こうした人たちとの交流の場を作ることも、吉田さんのプロジェクトの狙いだ。「震災直後は県外から訪れる人も減り、いわき市内にも原発の近くから移住してきた人などもいて、もとからここに住む人との交流の場もなかった。そんな人たち交流できる場を作りたかった」と吉田さんは言う。

●茶綿のコットンに込めた思い

収穫した茶綿のコットン
収穫した茶綿のコットン

吉田さんたちが育てているのは、白ではなく茶色のコットンだ。綿栽培の主流は、品種改良された白いコットン。加工の際に色を染めやすく、強い糸になりやすいからだ。ただ、そうしたコットンは大量生産をするために農薬が多く使われ、環境に負荷をかけていると吉田さんは言う。日本の在来種といわれる「茶綿」にこだわるのは、「いわきから、環境問題についていま一度見つめ直してほしい」という思いを込めるためだ。「原発事故に苦しんでいる我々だからこそ、改めて環境に優しいモノづくりとは何かということ、震災から我々は何を学んだのかということを発信したかった」。

無農薬で育てられた茶綿は、製品になってもその色が残る。吉田さんには、その茶色を通して自分たちの思いを知ってほしいという狙いもある。吉田さんに賛同したボランティアが集まり、いまはいわき市を中心に10ヶ所以上の畑でコットンを育てているほか、県内の他地域や県外の大学にも活動の場を広げつつある。

●現状の課題

倉庫に保管されている一昨年の収穫物の在庫
倉庫に保管されている一昨年の収穫物の在庫

吉田さんは30年以上も市民活動を続けてきた。そのうちのひとつに「ザ・ピープル」という団体による古着の回収・再利用の活動がある。長年、環境問題に目を向けた活動をしてきたことが、今回の「コットンを使った復興」というアイデアに結び付いた。コットンの活動を始めたばかりのころは注目を集め、ボランティアも多く集まった。企業からの補助金もあり、活動の幅を広げることができた。ところが震災から10年以上がたつと補助金は減らされ、ボランティアも以前ほどは集まらなくなった。また、プロジェクトが育てたコットンを買い上げてくれていた企業が、原料を安定して確保するためコットンを自社栽培するようになった。そのため、吉田さんたちには育てたコットンの販売先がなくなってしまった。茶綿は加工が難しいため、ほかの企業からも買取を敬遠されてしまう。一昨年に収穫したコットンの在庫も多く余っている。

「このまま何の形にもならないのにコットンを作り続けても『何のために育てているの?』ということになってしまう。今までは経済面のことはそこまで考えてこなかったけど、このままだと誰もついてきてくれなくなる」。吉田さんの悩みは深まった。さらに昨年の春、追い打ちをかけるように吉田さんに膵臓がんが見つかった。だが、病は吉田さんの心境に変化をもたらした。「病気が分かったことで、より次の世代にこの活動を継承していく必要があると思った。このプロジェクトはまだ最初の一歩を踏み出したにすぎないと思っている」。コットンを買い取ってくれる企業探しなど、新たな動きに踏み出した。

●コットンの輪を広げるために

いわき市内の学習塾で話す吉田さん
いわき市内の学習塾で話す吉田さん

そんな時、地元企業の紹介で大手アパレル製造の企業との商談が持ち上がった。吉田さんは、相手企業にこう訴えた。「もし商品になったとしても、福島のコットンだからこそ環境問題のことを考えて、オーガニックのコットンを作ってきたんだということをどこかで分かるような形で販売してほしい」。

そんな思いが響いたという先方の担当者は「しっかりとしたストーリーがあるのが良い」と買取を決定。吉田さんは「私たちの思いをくんでくれて販売してもらうというのが私たちの唯一の条件だった。本当にありがたい」と胸をなでおろした。

吉田さんは、地元の小中学校や高校での講演やワークショップにも積極的に取り組んでいる。自らの思いを、震災を経験していない次の世代にも届けたいという一心からだ。子供たちには、震災時の苦しみや原発事故による風評被害を説明し、環境悪化のイメージがついてしまった福島をコットンの力で変えていきたいとの意気込みを話している。「ゆくゆくはいわきの子供たちはどこかのタイミングでみんながコットン栽培に関わり、卒業するときには自分たちで育てたコットンを手に卒業していってほしい。そこまでコットンがいわきに定着するのが私の目標」と吉田さんは話す。

闘病しながらの、おカネにはならない活動。夫の稔(みのる)さん(70)には「お前がやっているのは道楽だ」と言われることもある。とはいえ、稔さんは長らく吉田さんの活動を温かく見守り続けてきた。「専業主婦で家にいられるより、外で活動してくれいる方がこっちも気が楽だった」と笑う。がんの治療で東京を訪れる際には同行するなど、いまも陰ながら妻を支えている。

「家族や仲間たちに支えられながら30年以上も活動を続けられている」という吉田さんは、こう心に決めている。

「たしかに、今まで社会のためにと言いながら、ほとんどお金を生み出すことができていなかった。だから、このプロジェクトは継続できるように、しっかりした形で仲間たちに引き渡したい。人生の最期まで生き生きと走り続けたい」。

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

映画監督・映像ディレクター

1992年生まれ。岩手県宮古市出身。大阪芸術大学卒業。AOI biotope所属。大学時に映画監督の原一男に師事。撮影・編集・監督をした卒業制作のドキュメンタリー映画「ヘイトスピーチ」(2015年)が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティションで入賞。その後、劇場公開される。その他、撮影・編集・監督をしたドキュメンタリー映画「僕とケアニンとおばあちゃんたちと。」(2019年)「僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。」(2022年)を劇場公開している。

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