TOKIO城島茂「自分にできることを問い続けたい」福島で被災し共に歩み続ける13年 #知り続ける
「お互い無事でよかったねと言い合いました。でも、酪農をされている方が、もう酪農はできねぇな、牛は置いていくしかなかったってポツリと言ったひとことがいまだに耳を離れないんです。あの状況では、自分たちだけが避難するしかなかった。被害はさまざまですが、見えない放射線の影響で住んでいた場所に戻ってこられないという無念さはみなさん同じで。自分が何もできないことが本当に悔しかったです」 原発から30キロほどのところに位置していたDASH村のある浪江町津島は、福島県内でも放射線量が高く、ニュースでその地名が上がることも多かった。
「あそこはもうだめだって人に言われたら腹が立ちました。例えば、うちのおかんに自分はいろいろ言うけど、他人から言われたら腹が立つのと同じですね。山に囲まれていて地形的に風が停滞しやすいので、稲のいもち病も発生する。盆地で暑いし寒い。荒れ地を開墾して、初年度に作った米や野菜は出来が悪かったんです。でも、そういうものほどかわいいんですよ。みんなで刈り入れて、かまどで炊いた米のおいしかったこと。村人とメンバーと縁側に並んで炊き立ての米を食べたんですが、この記憶は一生残るんだろうな。本当にいい場所ですよ」
「自分にできること」への答え
TOKIOは風評被害を受けた福島県産の農作物などのPR活動に励み、県のCMにも毎年起用された。県庁には「TOKIO課」も設置され、長年の活動で、福島を応援するTOKIOのイメージも世の中に浸透していった。 「自分たちは何かを伝えることはできると思ったんです。何もできないと思っていたなかで、手段があるというのが、ひとつの救いになっています。野菜や米もしっかり検査をして、数値化して。その過程を直接見てきました。生産者さんは、ここで生活をして一生懸命頑張っていらっしゃる。そういう方々の取り組みを伝えていくのが、福島とつながりがある自分にできることへの答えなのかなと思います」
福島と共に歩み続ける。その証しともいえるプロジェクトが動いていた。TOKIOは、今からおよそ3年前に福島県西郷村の土地を購入し、東京ドーム2個分の広さがあるその場所を「TOKIO-BA」と名づけた。現地では、産直野菜のマルシェや収穫体験などのイベントが定期的に開催され、訪れた人が楽しんでいる。また、リアルタイムで現地からの情報発信も行っている。