TOKIO城島茂「自分にできることを問い続けたい」福島で被災し共に歩み続ける13年 #知り続ける
もう戻れない
メンバーや家族は無事なのだろうか。連絡を取ろうとしても携帯電話はつながらない。テレビをつけると、どうやら沿岸部では津波が来ているとのことだった。まるで映画の世界で起きている話のようで、リアルに感じることはできなかったという。 「都市部は建物の倒壊が多いとの情報だったのでその場で夜を迎えたのですが、どうやら原発が危ないと聞きました。朝を待って明るくなってから車で東京に向かって、到着まで11時間くらいかかりました。途中、コンビニに寄っても棚に何にもないんです。ただごとではないと思いましたけど、まだこのときは、落ち着いたらロケを再開できると思っていました」
東日本大震災の被害は城島の想像をはるかに超えていた。福島第一原子力発電所の事故の影響で、放射線の値が高い地域は立ち入りを制限され、住民たちは県内外に散り散りに避難した。浪江町は、町内全域が避難指示区域となった(除染やインフラ復旧を経て段階的に解除されるがDASH村を含む町の面積の8割が今も帰還困難区域に指定されている)。 「まさかもう立ち入れなくなるっていう発想がなかったんです。奈良県出身なんですが、阪神・淡路大震災のときは一人暮らしをしていて東京にいて。でも、阪神・淡路大震災では、同じ場所を復旧させるという概念があったと思うんです」
震災から1年後に見た光景
城島が再び福島県浪江町のDASH村を訪れたのは、震災から1年が経った頃だった。土壌除染の実証実験を行う番組の企画だったが、放射線の影響で立ち入りを許可されたのは2時間だけだった。
「いつも行っていた場所に行くのに、なんで許可がないとだめなんだと思っていました。すでにあの場所はホームのような感覚だったんです。防護服を着て村に入って、愕然としました。どこが畑で、どこが田んぼかわからないくらい背が高い草木が生い茂っていて。土地を耕して11年かけていろんなものを作ってきたのに、1年でこんなになってしまった。ずっと心の中で、作業が途中だったことが気がかりだったんですが、母屋の割れた窓ガラス越しに、地震で中断した雨どいがそのまま残っているのが見えて、切ない気持ちになったのを覚えています」 複雑な思いを抱きながらも、喜びもあった。1年ぶりに住民との再会を果たすことができ、涙があふれた。