TOKIO城島茂「自分にできることを問い続けたい」福島で被災し共に歩み続ける13年 #知り続ける
「TOKIOのメンバーが5人から4人、3人となって、次のステージをどうするか考えたときに、これまでいろんなものを作ってきたけど会社をつくったことはないよねというところから始まったんです。DASH村での経験をもとに、何もない場所を一から自分たちで切り開いてみたい。(国分)太一のアウトドア好きを生かしてキャンプをしたり、子どもも大人も遊べたりするような場があったらいいよねって。それをするなら絶対、場所は福島でしょうというのも3人一致していました」
会社名には自分たちの名前を掲げた。(株)TOKIOの社長に就任したのは城島だった。 「松岡(昌宏)が、神輿は軽いほうがいいって言うんです。3人しかいない会社ですから、2人は副社長なんですけど、太一が企画で、松岡が広報とそれぞれに役割をつけました。TOKIOは昔からそれぞれに意見を持ち寄って、ああだこうだ言って決めているんです。そのやり方は今も変わらないのですが、自分が代表となって3人で会社をつくってからは、物事の舵取りや、判を押すのもそうですけど、より自由度が増したと思います。これまでの企業に所属するタレントとしての立場から、自分たちで決めていくプロセスを通じて、新たな一歩を踏み出している実感があります。全員がそろう仕事があると、よく話し込んでいますね。それこそ福島駅前の喫茶店でも。3人で話したら、臨時取締役会なんですけど。ただ、自由度が広がった分、慎重に見定めていく責任も感じながら取り組んでいます」
「こんなときこそTOKIOを」の声に感謝 恩返し誓う
TOKIO-BAの活動が軌道に乗ってきた矢先。昨年、旧ジャニーズ事務所の性加害問題が明るみとなり、所属タレントの出演や広告起用などの打ち切りが相次ぐ事態となった。旧事務所出身のTOKIOも、逆風とも言える状況に置かれていたなか、福島県は(株)TOKIOとの事業を継続していくことを明らかにした。県が公表したコメントには、いかなる性加害も絶対に許されるものではなく、事務所は社会的責任を果たすべきとした上で、「TOKIOの皆さんは(中略)私たちが風評被害などで最も悩み、苦しんでいた時も、福島に寄り添い続け、福島県民を勇気づけてくれた。(中略)今後も変わらず福島県を応援していただきたい」との1文があった。