爆発的ブームを起こした「ビックリマンチョコ」とプロ野球の意外な関係、「悪魔VS天使」シリーズ発売、1985年8月【食品産業あの日あの時】
「ビックリマン」の大ヒットを受け、各社も「ラーメンばあ」「ガムラツイスト」(ともにベルフーズ、現・クラシエフーズ)、「ドキドキ学園」(フルタ製菓)、「秘伝忍法帳」(エスキモー、現・森永乳業)といったシール入り商品で追撃したが、2カ月おきに投入される「ビックリマンチョコ」の新たなシールと、独創的な世界観には敵わなかった。 2019年に刊行された「コロコロ創刊伝説(第4巻)」(小学館)によれば最盛期には月産3300万個製造、年間売上120億円を超えたという。工場をフル稼働させてもウエハースチョコの製造が間に合わないことから、急きょ過去のシールの復刻版を封入した「ビックリマンアイス」「ビックリマンスナック」も投入された。1987年11月号の『コロコロコミック』誌上で開催された新キャラクター募集コンテストには約15万通もの応募が寄せられたという。
行き過ぎたブームは弊害も生んだ。子供たちの中には、シールだけ抜き取ってウエハースチョコを食べずに捨ててしまったり、稀少なシールを金銭で売買、あるいは盗もうとするものも現れた。また一部の商店では抱き合わせ販売や、偽物のシール(ロッチ)の販売も横行。問題視した公正取引委員会は1988年、ロッテに対して状況の改善を指導。 これを受けロッテは「シールの価格差をなくす」「種類ごとの混入率を均一にする」「特定のシールに価値が出るような広告を行わない」といった施策を講じた。『コロコロコミック』1988年11月号は「ビックリマンシールが生まれ変わるぞ」という見出しで“ヘッド”を含めたすべてのシールの材質と、当たる確率が同じになることを伝えている。これが転機となり、次第にブームは沈静化していった。
ところで「悪魔VS天使シリーズ」が発売された1985年には、菓子のおまけにもう一つ変化が起こっている。1973年から発売されていたカルビーの「プロ野球チップス」に、初めてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手のカードが添付されたのだ。親会社のロッテとカルビーが菓子の分野で競合にあたるため、それまでロッテ球団は自軍選手のカード化を承認していなかった。 初めてカードになったオリオンズの選手は落合博満。当時のパ・リーグを代表する選手のひとりで、同年には打率.367、52本塁打、146打点という圧倒的な成績で自身2度目の三冠王を獲得した。オフに入り「日本人初の1億円プレーヤー誕生か?」とはやし立てるメディアをよそに、ロッテ球団が落合に提示した年俸は約9700万円。強烈なプロ意識で知られる落合は翌年、二年連続3度目の三冠王を置き土産に、ロッテと再契約することなく1対4のトレードで中日ドラゴンズに移籍した(中日での年俸は1億3000万円と言われる)。
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