名古屋だけが観光地として「物足りない」のはなぜ…「充実し過ぎる街」が抱える問題点
名古屋駅周辺の繁華街が抱える「まとまりのなさ」
生活に慣れてきた頃、栄や名古屋駅周辺の繁華街も探索してみたが、そこでも「何でもあるのにまとまりがない」という印象が強かった。 たとえば、栄駅から徒歩1分の場所にあるルイ・ヴィトンの路面店。その西へ約200m進むと、11階建ての巨大なドン・キホーテがそびえ立つ。また、名古屋栄三越の南隣にはハイブランドショップが入る商業ビル「ラシック」がある一方、その西隣にはダイソーやブックオフが入る「スカイル」が並んでいる。 こうした店舗構成が街に雑多な印象を与え、「何のための街か」が見えにくくなっているのだ。 建物の古さも、この印象に拍車をかけている。 栄を南北に約1kmにわたって貫く久屋大通沿いには、百貨店やハイブランドショップが立ち並び、華やかな都市の顔を見せている。さらに、道路中央には飲食店やイベントスペースが集まる「Hisaya Odori Park」が整備され、多くの人で賑わいを見せる。 しかし、一歩裏通りに入ると、雰囲気は一変。年季の入った居酒屋やカラオケ店が密集し、古びた外観が目立つ。東京や大阪では古い街並みが「エモさ」や「下町情緒」として機能するが、名古屋ではそれが「廃墟感」や「うらぶれた印象」につながってしまっている。 対照的に、筆者は神戸が「うまくまとまっている街」の代表例だと感じる。神戸は三ノ宮駅を中心に、山側には異人館街やおしゃれなカフェが、海側には南京町やハイブランドショップが建ち並ぶ旧居留地が広がっている。 それぞれのエリアが明確な役割を持ち、訪れる人に「神戸らしい体験」を提供しているのだ。 筆者が神戸に住んでいた頃、山側の異人館街はデートスポットの定番だった。レトロな建物と自然が調和する中で散策を楽しみ、おしゃれなカフェでゆっくり過ごす。友人と買い物をする際は、海側の乙仲通りで古着屋巡りをするのが定番。 県外から訪れた友人を案内するときは、南京町で食べ歩きをし、元町商店街を見て回る。これらの観光スポットは徒歩圏内にまとまっており、どこを訪れても「神戸らしい体験」ができた。 その一方で、名古屋で「名古屋らしい体験だな」と感じた瞬間は、正直あまり思い浮かばない。観光地が点在しているため、それぞれの体験が断片的になりがちで、街全体としてのまとまりを感じにくいのだ。 実際、筆者が名古屋で体験したデートも、こうした「まとまりのなさ」を象徴していた。 名古屋栄三越やラシックなどのショッピングモールを見て回り、サンシャイン栄の観覧車に乗ったものの、そこから見えたのは居酒屋やキャバクラが建ち並ぶ錦の繁華街だ。 観覧車を降りた後は、キャッチの勧誘を避けるためにその場を離れ、落ち着いた雰囲気のオアシス21の方へ向かった。しかし、そこから何気なく歩き続けているうちに「女子大小路」と呼ばれるエリアに迷い込んでしまった。 そこではラブホテルや風俗店が目に入り、デート相手に訝しがられるという展開に。 こうした「あてもなくぷらぷら歩いていると、予期せぬ場所にたどり着く」という経験は、名古屋特有の雑多さを感じさせるものだった。 また、観光地と日常空間が近接しすぎているという印象もある。 たとえば、熱田神宮の近くには大型ショッピングモール「イオンモール熱田」があるが、参拝を終えて少し歩くと、すぐに目に入ってきてしまう。 この便利さは名古屋らしい特徴と言えるが、反面「非日常感」を得にくい原因にもなっているのかもしれない。 こうした要因が重なり、名古屋という街のイメージが曖昧になっているのではないだろうか。東京なら「先端的」、京都なら「伝統」、神戸なら「洗練」といった印象がすぐに思い浮かぶのに対し、名古屋は一言で表しにくい。その結果、観光客にとって記憶に残りづらい街になっているように思う。