〈欧米と日本のコンテナの大きさは違う?〉独自の発展により日本が失ったコンテナ輸送のメリット
前回の「〈意外と知られていない鉄道貨物の世界〉『物流2024年問題』へどう寄与するか、鉄道輸送の実態と位置づけ」において筆者は、モーダルシフトの受け皿たるべき鉄道コンテナ輸送の約9割を占めるJR貨物の35年の歩みを数字で振り返った。同社が計画的に事業を縮小してきたことを確認しつつ、重量ベースで総貨物量の1パーセントに満たないコンテナ輸送の貨車数等取扱い能力が必要最低限に抑えられていることを指摘した。 【表】世界で独自の日本のコンテナ発展過程 そして筆者は、このような事実があるにも関わらず、モーダルシフトが日本の貨物輸送にとって「2024年問題」から脱却し、生まれ変わるために必要不可欠な戦略であると示し、次回は日本の鉄道コンテナ輸送事業にどのような選択肢があるのかを述べると予告させて頂いた。 しかし、その後色々と検討した結果、将来の日本のコンテナ輸送が取るべき選択肢を導き出すには、日本のコンテナ輸送をグローバル標準と比較し、両者の違いを浮き彫りにすることが、不可欠であると考えるに至った。 そこで今回は、約束を破るようで恐縮ながら、独自の発展を遂げた日本のコンテナおよびコンテナ輸送システムの発展過程と国際的位置づけについて、国際海上コンテナと比較しながら述べていくこととしたい。
国際海上とは異なる発展を遂げてきた日本のコンテナ
現在国際標準となっている国際海上コンテナは、米国のトラック運送会社の経営者であったマルコム・マクリーンが、1956年にニュージャージー州ニューアークからテキサス州ヒューストンまで運航を開始したのが始まりとされている。中古軍用タンカーを改造したコンテナ船"Ideal-X"に、58個の金属製コンテナを搭載した。 それ以前にも、米軍が小型のスチール製コンテナ(コネックス・ボックス)を私物の運搬に使用する等の動きはあったが、19世紀末以来、米国のトラックの標準となっていたセミトレーラーの“箱”をシャーシから分離して、船でも鉄道でも、そしてシャーシに搭載してトラックでも輸送できるコンテナを生み出し、並行してコンテナ船や船上のコンテナを揚げ下ろしするガントリークレーン等のコンテナ荷役システムも開発したマクリーンの功績は、極めて大きい。 その10年後の66年には、マクリーンが創業した船社シーランドが、オランダ向けコンテナサービスを開始し、コンテナが大西洋を越えて欧州にも持ち込まれることになった。以降、“箱”を船や鉄道、トラックで輸送するインターモーダル輸送が北米のみならず欧州にも拡大していくことになる。