「微アルで適正飲酒」推進の裏にある不都合な現実 もはや、メディアに踊らされているにすぎない
■微アル&低アルが持て囃されるのは、時代への反動? ただ、コロナ禍に登場したこともあり、冒頭で紹介した「適正飲酒」や、あえて飲まない「ソバーキュリアス」という考え方、さらにお酒を飲む人と飲まない人が尊重し合える社会を目指す「スマートドリンキング」などの理念と共に、微アルと低アルが持て囃されている。そういった言説を、CMや電車広告等で目にするようになった。 しかし、実態としては流行しているわけではなく、純粋にアルコール度数8%以上のストロング系が、200円以下で購入できた時代への反動(バックラッシュ)が起きているだけと言っていいだろう。
そもそも、前述のような理念のもとで、微アルや低アルで満足できる人々は、酒がなくても豊かな人生を送れているはずだ。 また、酒類メーカーとしては、微アル飲料を足がかりにして、アルコールを嗜む人を増やしたいという狙いもあるだろう。 ただ、こういった戦略についても、筆者はあまり肯定的ではない立場だ。ストロング系に耽溺してきた人間が、健康のことを考えて微アルや低アルを飲むならさておき(満足できない人が大半だろうが)、微アルや低アルで満足できる人々が、昨今の適正飲酒ムーブで酒を飲むなら、それはもう、メディアに踊らされているにすぎないからだ。
もはや、無理したり、周囲に合わせて酒を飲む時代ではないのだ。 ■“わざわざ”微アルや低アルを飲む理由 他方で、世間のノンアル、微アル、低アルに対するイメージと需要は大きく変化したのも事実だ。 以前、大学時代の友人の結婚祝いでAirbnbパーティーを開催した際、筆者は自分用にノンアルビールをパックで6缶準備しておくように頼んでおいた。 しかし、当日はアルコール依存症(※当時)の筆者以外にも「肝臓の数値がヤバくて……」という理由でノンアルを飲む人たちが大勢いた。みんなまだ30代前半である。「どの口が言う」と非難されても仕方がないが、みんな身体を壊すのが早すぎるのではないか?