2回コロナ感染、左腕骨折でも「災難じゃない」――ゴリエ旋風で人気再燃、ゴリ49歳の恩返し
テレビから軸足を移し 映画監督・小説家デビュー
ここ数年、ゴリの姿を全国ネットのテレビで見かける機会は減った。ネット上ではそんな芸能人に対して「消えた」「干された」などと匿名の心ない言葉が飛び交うこともある。だが、本人はネガティブな声を気にしていない。 「気にしてもしょうがないですよね。テレビは呼ばれるもので、自分が出たくて出られるものじゃないので。呼ばれないってことは今の自分は必要とされてないっていうことだから、今自分ができることをがんばろうっていう感じです」 『ワンナイR&R』終了後はテレビから舞台や映画に軸足を移し、創作活動に力を入れてきた。故郷の沖縄では、沖縄独特の文化を笑いながら学べる「おきなわ新喜劇」を旗揚げ。2006年に映画監督デビューを果たすと、2019年公開の『洗骨』では日本映画監督協会新人賞を受賞した。 「小さい頃に寂しかった時期とか苦しかったとき、僕はエンタメに救われました。昔はいい車に乗るぞ、いい時計着けるぞとかって思ってましたけど、車なんて走ればいいし、時計なんて携帯あるし。今は、僕と話すことによって楽しんでくれたり、僕が生み出すものに感動してもらえたりするような、そういう人間になりたいです。だから、映画も舞台もやらせてもらえる以上は全力でやり続けます」
今月28日には作家デビュー作となる小説『海ヤカラ』が出版される。沖縄の本土復帰から50年、自身も50歳を迎える年に出されるこの児童小説では、1970年の沖縄県糸満を舞台に、10歳の少年の日常を通してアメリカ統治下の当時の様子が描かれている。 「小説を書くときコザにインタビューに行ったんですが、米兵はベトナムに行くのが怖かったんですって。仲間が死んでいく、戻ってきても両脚がない。彼らはベトナム人が憎いわけじゃないけど、行かなきゃいけなかった。だから、単純にあっちが悪い、こっちが悪くないとかじゃないし、これ賛成、反対って白黒つけたいわけでもない。僕の中では理不尽なことに苦しんでいる沖縄県民を描くよりも、その中でもたくましく生きる人の強さみたいなのを子どもたちに伝えたいと思いました」