誰もが情報発信できる時代に「信頼される」ための指針
立ち返るべき原理原則
ただ、問題は、それによって信頼のあり方が変わってきたということ。誰もがジャーナリストを名乗ることができる。ニュースメディアを名乗ることができる。ということは、注目を集めて小金を稼ぐために、もしくは特定の勢力に利するために、偽情報をばら撒くことだってできる。そういう玉石混淆の情報の奔流の中に我々はいる。 であるがゆえに、ジャーナリズムについて何かを語るためには、その原理原則に立ち返る必要がある。本書が長らく読みつがれてきた理由はそこにある。 本書は2001年に初版が出版されて以来、版を重ね、米国ジャーナリズムで最も有名な教本の一つとなってきた。今回の第4版では、ソーシャルメディアの普及や、広告モデルではなくオンラインでの有料購読モデルが有力になってきたメディアのビジネスモデルの変化を踏まえた記述が多く見られる。ポッドキャストや新興メディアへの言及も多い。 それでも印象的なのは、本書の冒頭で「なぜ人にニュースが必要なのか」というところにまで立ち返っていること。どんな原始文化にもニュースは存在する。友人や知人と会って人が最初にすることの一つが情報共有である。自分が直接経験できない世界を知るため、人とお互いにつながるため、人の基本的な「知る本能」を満たすためにニュースは存在する。ジャーナリズムとは、要するに、今どうなっているのか、これからどうなるのかの情報を社会に供給するためのシステムだ、と本書にはある。 そして、本書には「ジャーナリズムは民主主義のためにある」とある。ジョセフ・ピュリツァーの言をひいて、民主主義とジャーナリズムは「ともに栄え、ともに滅ぶ」とある。
人と人の関心をつなぎ、公共の場を生み出す
民主主義というとまた大上段に構えた言葉になってしまうのだけれど、その理路も丁寧に説明されている。人と人の関心をつなぐこと。コミュニティを形作ること。人々の頭の中にある「今の社会はこうなっている」という像を描き出し、オープンな議論ができる公共の場を生み出すこと。ジャーナリズムが本来そのためにあること、そしてその機能が不全になりつつあることも書かれている。 そのうえで、本書には10の原則が挙げられている。 1. ジャーナリズムの第一の責務は真実である。 2. ジャーナリズムの第一の忠誠は、市民に対するものである。 3. ジャーナリズムの本質は、事実確認の規律にある。 4. ジャーナリズムの仕事をする者は、取材対象から独立を保たなければならない。 5. ジャーナリズムは、力ある者の監視役を務めなければならない。 6. ジャーナリズムの仕事をする者は、人々が批判と歩み寄りとを行う議論の場を提供しなければならない。 7. ジャーナリズムは重要なことを面白く、かつ、自分につながる問題にするよう努めなくてはならない。 8. ジャーナリズムはニュースにおいて、全体像を配分良く伝えなければならない。 9. ジャーナリズムの仕事をする者は、個人としての良心を貫く責務がある。 10. 市民もまた、ニュースに関して権利と責任がある。彼ら自身がプロデューサーや編集者になる時代には、なおさらである。 綺麗事の「べき論」と思う人もいるかもしれない。仰々しいとか、堅苦しいとか、理屈っぽいとか、そういう印象を感じる人もいるかもしれない。正直なことを言うと、筆者もこのリストだけを最初に見た時にはちょっとそういうことを思った。