なぜ眠らないと死んでしまうのか…悪影響を受けるのは脳だけではなかった
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】考えたことがない、「脳がなくても眠る」という衝撃の事実…! 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
動物の断眠
断眠は、脳のはたらきに大きく影響する。ランディが経験したように(参照:人は眠らなかったらどうなるか…「11日間断眠」した“命がけの実験”でわかった「意外なこと」)、数日間にわたって眠らないと、記憶に障害が出て、集中力を保つことが難しくなり、ときに妄想や幻覚を伴うことがある。過去には、被疑者に対して長時間眠らせずに取り調べを行って、虚偽の自白が引き出され、冤罪が生まれたケースもある。 断眠によって影響を受けるのは、脳のはたらきだけだろうか。とても可哀そうだが、動物を長い期間にわたって断眠させる実験が行われたことがある。そして、全身にどのような異常が生じるかを検証したのだ。 シカゴ大学のアラン・レヒトシャッヘンらは、ラット(大型のネズミ)を用い、「水上円盤法」と呼ばれる手法で断眠実験を行い、1982年にその結果を発表した。その手法では、ラットを特殊な円盤の上に置き、円盤の下に水を張っておく。円盤の上に乗せられたラットは脳波が常に計測されていて、ラットが眠りに落ちると、円盤が回転して水に振り落とされるしくみになっていた。 ラットは、水がとても嫌いだ。そのため、水に触れると、すぐに目を覚ます。この手法では、同じ円盤の反対側にも、仕切りを挟んでもう一匹ラットがいて、そのラットは眠ることができた。なぜかというと、円盤が回転するのは、断眠させようとしているラットが眠りに落ちたときだけなのだ。断眠ラットが起きているかぎり円盤が回転することはないから、仕切りの反対側にいるラットは、その合間に眠ることができた。 断眠ラットは実験前に比べて、睡眠時間が87.4パーセントも減った一方、円盤の反対側にいたラットは、30.6パーセントの減少にとどまった。水上の円盤に、長い時間にわたり滞在することは、ラットにとって大きなストレスとなる。たとえ眠ることができたとしても、だ。断眠ラットとその反対側のラットの2匹を用いたのは、この実験手法によってラットが被るさまざまなストレスのうち、眠れなかったことによる影響だけを切り分ける狙いがあった。 断眠ラットは、どんな経過を辿ったのだろう。レヒトシャッヘンらの観察によると、断眠ラットは、食事量が増えた一方、体重は減少した。さらに、皮膚の傷が目立ち、足の腫れが見られるようになって、断眠を始めてから2~3週間で、死んでしまったのである。円盤の反対側にいたラットは、死ぬことはなかった。胃潰瘍ができた断眠ラットもいたらしい。強いストレスを受けたせいだろうが、胃潰瘍が直接の死因ではないだろう。なぜ、断眠させると、死んでしまうのか。 レヒトシャッヘンらの研究にヒントを得て、2023年には、中国の研究グループから新しい研究が報告された。マウスを浅く水を張った容器に入れておくだけで、より効率的に断眠させることができるというものである(この実験の結末を知ると、効率的という表現が、正しいかは分からないが)。 マウスは眠るとき、頭を下げ、体を丸める姿勢をとる。そのため、マウスを深さ八ミリメートルほどの水を張った容器に入れておくと、眠ろうとしたときに、鼻が水に触れてしまい、すぐに目を覚ますという理屈だ。たしかに「効率的」ではあるが、なんとも強引で可哀そうな方法である。 そうして断眠させられたマウスは、4日ほどで死んでしまうという。その死因を解明すると、炎症応答が過剰になり、制御がきかなくなった「サイトカインストーム」と呼ばれる状態に似て、多臓器不全に陥っていた。断眠は脳にダメージを与えるだけではない。影響は全身に及び、ひどい場合は死に至る。 無論、水というラットやマウスにとって不快な刺激を与え、何日間も眠らせないような実験は、倫理上あまり好ましくない。現在、睡眠の研究で動物を用いる際には、実験者が筆で優しく触るなど、比較的侵襲度の低い方法が推奨されている。そして、断眠させる時間も数時間、長くても6~12時間など、ルールが定められていることが多い。 ランディの断眠の経過、さらに動物の断眠実験の結果──それはまさに、「このまま眠らずに起き続けたらどうなるのだろう」という、私が幼い頃に毎晩考えていたことの答えだ。眠らないでいると、脳だけでなく全身にさまざまな不調が生じる。眠らずに起き続けることは、困難なのだ。
金谷 啓之