多くの人が知らない…「幕末の日本」を、真っ二つに分けた「意外な対立軸」があった
「日本を洗濯する」ってどういうこと?
日本とは、いったいどんな国なのか。日本社会が混乱しているように見えるなか、こうした問題について考える機会が増えたという人も多いかもしれません。 【写真】1864年の「下関戦争」、その「驚きの様子」 現在の日本をとらえるために、近代日本の起源と位置付けられることの多い、明治維新や幕末史について知っておくことにはおおいに意味があることでしょう。 幕末史については、さまざまなアクターが入り乱れる複雑怪奇な時代というイメージを持っている人も多いかもしれません。しかし、そんな時代を驚くほどクリアに解説してくれ、数多くのあらたな知見を授けてくれる本があります。 『攘夷の幕末史』という本です。著者の町田明広さんは、幕末史を専門とする歴史学者で、神田外語大学教授。 本書は、「攘夷」という考え方に焦点を当てながら幕末史を見ていくというものです。特徴的なのは、従来の一般的な見方であった「公武合体vs.尊王攘夷」という対立図式を批判しつつ、〈本書で主として扱う文久期(一八六一~一八六四)といえば、例外なく日本人すべてが尊王であり、攘夷であった〉という見方をとる点。 そして本書は、攘夷の「内部」において、対立やグラデーションがあったこと、その内部での対立を知ることの重要性を指摘します。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 *** 当時は攘夷の解釈によって、国内は二分されたが、その主たる対立軸は、通商条約の是非にあり、それぞれの主張は、「大攘夷」と「小攘夷」であった。そもそも、その言葉自体は当時から使用されており、津和野藩士の国学者である大国隆正(おおくに・たかまさ)が『新真公法論』(慶応三年・一八六七)のなかで用いた造語である。 大国は平田篤胤に国学、昌平坂学問所で古賀精里に儒学を学び、長崎に遊学して洋学も修めた。その後、上方で報本学舎を開いて門人育成に尽力した。維新後は神祇事務局権判事となり、神仏分離・廃仏毀釈といった神道主義を指導し、神祇行政に多大の影響を与えたことでも有名である。 「大攘夷」とは、現状の武備では、西欧列強と戦えば必ず負けるとの認識に立ち、無謀な攘夷を否定した。現行の通商条約を容認し、その利益によって十分な武備を備えた暁に、攘夷を実行すると主張したのだ。公武合体派と呼ばれた人たちは、ここに属した。井伊をはじめ、龍馬が批判した幕閣もこの考えであり、実は攘夷であった。 一方で「小攘夷」とは、勅許も得ない現行の通商条約を即時に、しかも一方的に廃棄して、それによる対外戦争も辞さないとする破約攘夷を主張した。しかも、実力行使をいとわず、しきりに外国人殺傷や外国船砲撃といった過激な行為を繰り返した。尊王攘夷派と呼ばれた人たちは、ここに属する。すなわち、当時の政争は「大攘夷」vs.「小攘夷」の構図なのだ。 なお今まで、幕末の攘夷政策は、このように大攘夷と小攘夷に分類されてきた。この攘夷の方策や実行時期の相違からなる対外概念を、本書ではわかりやすく大攘夷を「未来攘夷」、小攘夷を「即時攘夷」として再定義したい。 *** 公武合体vs.尊王攘夷ではなく、「未来攘夷vs.即時攘夷」。この図式を知っておくだけで、幕末史の見え方が大きく変わりそうです。 さらに【つづき】「幕末日本の対立構図は「尊王攘夷vs.公武合体」ではなかった…イメージをくつがえす「専門家の見方」」では、幕末の「攘夷」のあり方についてよりくわしく解説します。
学術文庫&選書メチエ編集部