侍ジャパンの「抑えを決めない」流動的勝利の方程式の妙
カウントが2-0になった時、東京ドームは「がんばれ!」の拍手と大声援に包まれた。 「ああ、こんなにたくさんの人が応援してくれているのか」 マウンド上で25歳の中日の左腕、岡田俊哉は勇気をもらったという。 1-1の同点に追いついたばかりの5回裏だった。 ソロアーチ一発の1失点で踏ん張ってきた先発の菅野がこの回、先頭のデサンミゲルが踏み込んできた胸付近にボールをぶつけ、続くオールティエンは三振に打ち取ったが、9番のハーマンに思いのほかファウルで粘られて先発の球数制限の65球をオーバーしてしまったのである。しかも、坂本の左を襲った打球を巨人のショートが飛びついて止めたが、二塁への送球は間に合わない。一死一、二塁のピンチで、右打者のカンディラスを迎えて、お鉢が回ってきたのが左腕の岡田だった。 「しっかりと準備はできていました。菅野の球数次第で僕が行くと。そこが僕の役割ですから」 権藤博投手コーチも言う。 「こういう場面こそ、ボールを動かすことができる岡田。千賀は回の頭からいきたかったから。もし菅野の球数が制限を越えれば、岡田に決めていた」 強いハートと球質を買って中日コーチ時代に教えた岡田を召集したのである。ちなみに岡田は2009年のドラフトで智弁和歌山から菊池雄星(西武)の外れで1位指名されている。 だが、岡田のコントロールが定まらない。 初球はカーブが抜け、2球目は、「シュートをひっかけてしまった」と、ワイルドピッチとなり、二、三塁に走者を進めてしまうと、突如としてストライクが入らなくなり、歩かせてしまったのである。3つの塁がすべて埋まる。 マウンドに権藤博投手コーチが向かう。 「何をしゃべったか? こういう場面は放送禁止用語に決まっているだろう」 岡田いわく、「放送禁止用語はなかったです。(笑)。気落ちするな。普段通りにいけと」 だが、勝負の帰趨を決する緊迫の場面で岡田の体は動かない。左打者のべレスフォードを打席に迎えて1球ボール、2球ボール……。 「悪いパターンにはまりかけていました」。痛恨の押し出しが頭をよぎったとき、坂本が声をかける。松田もマウンドに近づき励ました。サイン交換をしてから小林がタイムをとってマウンドへ向かった。 「がんばれ!」の大声援と拍手が起きたのは、まさにこのときだった。 「もう投げる球はストレートしかなかった」 いわゆるバッティングカウントで、海外の打者は100パーセントストライクを振ってくる。やるか、やられるか。「うまい具合にボールが動きチェンジアップのように小さく変化した」(権藤コーチ)という、それはベレスフォードのバットの芯から、ずれた。打球はゲッツーにおあつらえむきの内野ゴロ。しかも侍ジャパンの絶対安全聖域の菊池の正面。4-6-3。まだ同点だというのに場内とベンチがひとつになった。 しみじみと、影のヒーローは言う。 「お客さんの力がボールの乗り移って抑えられたんです」