32歳、不妊治療と仕事の両立に行き詰まり退職を決意。子育てしながら、不妊カウンセラーを目指して
子どもが3歳半のときに不妊カウンセラーに転身。軌道に乗るまでは、地道に発信
――不妊カウンセラーとして、仕事を始めたのは、お子さんが何歳くらいのときですか? 笛吹 子どもが1歳半になってから、派遣社員として健診関係の会社で働き始めました。保育園には入れなかったので、実家の両親に子どもの面倒を見てもらって。そのころから、自分の経験をいかして、少しでも誰かの役に立てたら…と思うようになり、不妊カウンセラーという資格に興味を持ちました。でも、まだ、子どもが小さく、私にべったりという感じだったので、子どもと離れて、東京に泊まって数日講座を受けるのが現実的に難しいと感じていました。今でこそ、オンラインの受講もありますが、当時はまだ通うしかなく…。 子どもが3歳半くらいになって、もう、夫に任せても大丈夫かな…というタイミングで、講座を受講し、資格を取得しました。夫の理解と、あとは実家のサポートがあったので助かりました。 ――サポートがあったとはいえ、育児をしながら勉強するのは大変だったのでは? 笛吹 そうですね。でも、私はもともと夜行性というか夜遅くまで起きているのが得意だったので、子どもが寝てから、1時2時くらいまで勉強をしたり、勉強したことをブログで発信したりしていました。 幸いにも、うちの子は寝かしつけがあまり必要ないタイプで。わりと勝手に寝てくれてることが多かったんです。親が手をかけないタイプだったからか、小さいときから自分のことは自分でやるタイプで、ありがたかったです。 ――不妊カウンセラーの仕事はすぐに軌道に乗ったんでしょうか? 笛吹 皆さん、個人を相手にそう簡単に相談しようとはなりませんよね。なので、最初は一方的にインターネットで発信するという形で活動をしていました。不妊治療の情報ってまだまだ少ない時代だったので、困っている人たちに、少しでも情報が届けば…という思いで、地道に続けていたんです。 そうするうちに、雑誌やWEBなどの媒体から声がかかって記事にしてもらったり、コラムや監修というような形で発信をさせてもらったりという機会に恵まれるようになりました。 当時は、まだ、そこまで自分の不妊治療の経験を発信する人は多くなかったんです。とくに顔も名前も出して発信している人は本当に少なかったと思います。そんなこともあって、声をかけていただく機会が増えたのかな…と思っています。 今では、個人のオンライン相談のほか、サプリメントやフェムテックの会社の相談窓口のお手伝いをしたり、福利厚生の企業のオンラインセミナーの講師をするなど、妊活や不妊治療に悩む女性のサポートをしています。 お話・写真提供/笛吹和代さん 取材・文/渡辺有紀子、たまひよONLINE編集部 笛吹さん自身の不妊治療のこと、会社を退職し、不妊カウンセラーになった経緯などを中心に教えてもらいました。後編では不妊カウンセラーとして多くの不妊相談を受けている中で見えてきた現実や、今後の社会の課題などを紹介します。
笛吹和代さん(うすいかずよ)
PROFILE 2008年に結婚し、働きながら妊活・不妊治療を続けるも、2011年に仕事と治療の両立に悩み退職。不妊で悩む女性をサポートしたいという願いから、2015年から個人事業主として妊活や不妊治療に関する発信を開始。2018年に認定不妊カウンセラーの資格を取得。現在は妊活・不妊治療に関する個別相談、コラム等の執筆、セミナーや研修講師、妊活・不妊治療を支援するベンチャー企業の顧問アドバイザーとして活動している。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●掲載している情報は2024年11月現在のものです。
たまひよ ONLINE編集部