32歳、不妊治療と仕事の両立に行き詰まり退職を決意。子育てしながら、不妊カウンセラーを目指して
当時はまだ不妊治療に対する理解が少なく、仕事との両立に苦労しました…
――仕事をしながらの不妊治療は、どんなことが大変でしたか? 笛吹 まず、頻繁にクリニックに通う必要があるので、通院するのが大変でした。私は排卵の状態がよくなかったため、排卵誘発剤を使っての治療となりました。でも、排卵誘発剤を使い始めたら、なぜか、上手く卵胞が成長しなくなってしまったんです。それで、排卵誘発剤を増やしたら、今度は急に発育する卵胞が増えすぎてしまって。排卵誘発剤の量を先生がこまかく調整する必要があったので、生理が終わってから排卵まで、毎日のようにクリニックに通わないといけなかったんです。今は排卵誘発剤は自宅で自己注射という方法を選ぶこともできますが、当時、私の場合は自己注射は選択できませんでした。 私の職場は公共の交通手段が少なく、車通勤が基本。職場からクリニックまでも車移動ですが、道が混んでいると1時間半くらいかかってしまうので、17時の定時に上がって急いで向かっても診療の最終受付に間に合うかどうかギリギリで。もともと、私の部署では17時の定時に帰る人はいなかったから、肩身の狭い思いをして通院していました。 職場の理解を得るのも大変でしたね。当時、職場の女性たちが妊娠・出産ラッシュだったこともあり、常に人手不足の状態でした。会社側からは、「もうこれ以上妊婦が増えたら困る」というような空気を感じましたし、実際、他部署の上司がそういう愚痴をこぼしていたのをたまたま聞いてしまったこともあります。 通院のために定時で上がっても、通院後、職場に戻ることもありました。土曜日は通院しなければならないと上司に休日出勤が無理なことを伝えていても、通院中にトラブル対応の電話がかかってきたことも…「なんでいないんだ! 困っているから、出社して」と。 今では「働き方改革」という取り組みがあって、不妊治療に対しても少しは理解があるけれど、当時はまだまだほとんど理解がない時代だったし、田舎ということもあって、なかなか厳しい状況でした。