中学受験ブーム過熱と「教育格差」論の落とし穴
わが子を"勝ち組"にしたい親心
中学受験ブームを象徴する漫画がある。コミック発行部数が累計360万部を超える大ヒットとなった『二月の勝者─絶対合格の教室─』(高瀬志帆作)だ。2017年から小学館の『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載が始まり、今年完結した。この間、首都圏の中学受験者数は微増を続け、2023年にはついに5万2600人の過去最高を記録した。 全国でみれば、中学受験する小学校6年生の割合はおよそ8%にすぎない。中学受験は首都圏および関西の一部における、特殊な教育文化である。にもかかわらず、この作品は読まれた。2021年にはドラマ化され、2022年には小学館漫画賞を受賞している。中学受験熱の高まりと歩調を合わせるようにして、売れたのである。 では、何が中学受験ブームを生んだのか。コロナ禍と教育格差議論の広まりが主な要因だったと私は考えている。 2020年2月末、日本のコロナ対策は一斉休校から始まった。公立の学校がほぼ機能停止に陥るなか、私立の学校は早々にオンライン授業に切り替えるなど、小回りの良さを発揮した。 組織構造の違いである。公立の学校は教育委員会単位で動かなければならない。教育委員会が本社であり、各学校は支社にすぎない。しかし、私立の学校はそれぞれが中小企業のようなものであり、いざというときにはトップの判断次第で小回りがきく。 休校期間は最長で約3ヵ月間にもおよんだ。コロナ禍が何年続くかわからない不安を募らせる保護者の目に、私立学校が優れて見えた。「難関校でなくてもいいから、私立に入れておいたほうがよさそうだ」と判断する保護者が増えた。中学受験の裾野が広がった。 もう一つ、私が注目する中学受験ブームの背景がある。それが教育格差議論の広まりだ。「親ガチャ」という言葉は2021年の「新語・流行語大賞」でトップ10に選ばれ、マスメディアでの教育格差議論とも結びついて、人口に膾炙(かいしゃ)した。 親の学歴、年収、出身地域、性別など、本人にはどうにもできない「生まれ」によって、得られる学力や学歴に差ができているという事実を、教育社会学が指摘した。要するに、教育における競争は、はなから出来レースだったのである。教育関係者には半ば常識的に知られていることではあったが、非正規雇用者の悲哀など格差社会の実態に注目が集まるなかで、世間一般にはセンセーショナルに受け取られた。 教育格差のインパクトを印象づけたいがため、教育段階における学力差・学歴差が社会に出てからの収入や地位に長く影響を与え続けることをメディアはくり返し強調した。そこから世の「親」たちが受け取ったメッセージは、「世の中の不平等を正そう」ではなく、「熾烈な格差社会を生き抜くために、教育段階においてわが子を〝勝ち組〟に育てよ。いちど〝負け組〟に落ちたら、あとからの逆転はほぼ不可能」であった。 結果、教育熱がますます高まった。その熱が、コロナ禍での公立不信や先行き不安とも相まって、特に首都圏においては中学受験熱を押し上げた。難関校とまではいわないから、せめて〝負け組〟にならないための中学受験という選択である。ここでも中学受験の裾野が広がった。実際、2024年の首都圏中学受験では、偏差値的な意味での中堅校が軒並み倍率を伸ばしている。 これは、「親ガチャ」というセンセーショナルな言葉と手を組んでパワーワード化した「教育格差」がもたらした、皮肉な副作用だった。