中学受験ブーム過熱と「教育格差」論の落とし穴
高校受験文化は戦後日本特有
日本では、中学受験よりも高校受験が一般的だが、海外に目を向けると実は高校受験という制度のほうが珍しい。教育学では、小学校段階を初等教育、大学や専門学校以上の教育を高等教育と呼び、その間をつなぐのが中等教育だ。大学進学を前提にした場合、中等教育は一貫していることが先進国の常識だ。 たとえばハリー・ポッターをイメージしてほしい。彼が通うホグワーツは7年制の中等教育学校だ。日本の中学受験と趣が違うが、小学校4年生段階で厳しい選抜がある。イギリスには5年制の中等教育学校もある。その場合は、ホグワーツより入学が2年遅い。ドイツのギムナジウムは8年制の中等教育学校だ。 戦前の日本の旧制中学は、5年制の中等教育学校だった。旧制中学は男子校で、それに相当する教育機関として女子には高等女学校があったが、女子の大学進学は原則として認められていなかった。 戦前は小学校までが義務教育で、中学入試は当時から熾烈だった。明治維新で身分制度をなくし、学問による立身出世を新政府は訴えた。ヨーロッパの階級社会とは違い、ペーパーテストで一発逆転が可能な社会を目指したのである。理念は良かった。しかしそれも結局のところ、巧妙に社会階層を温存するまやかしのしくみであったことが、約150年の時を経て、「教育格差」としてあぶり出されたわけである。 戦後の学校制度改革のなかで、義務教育を中等教育まで拡大することになった。本来であれば5年制の旧制中学をそのまま義務教育にすべきだったが、予算的に無理があった。そこで中等教育を前期と後期に分けて、その前半部分だけを義務教育とすることになった。5年間の旧制中学が、3年ずつの中学校と高校に分断されたのである。高等女学校も同様だった。 このとき、公立の旧制中学の多くは高等学校になった。たとえば名門中の名門である東京府立一中は日比谷高校として生まれ変わった。こうして戦前の中学受験熱は、高校受験熱にスライドした。それで高校受験がいまでも日本の受験の主戦場になっているのである。 (『中央公論』2024年10月号より抜粋) おおたとしまさ(教育ジャーナリスト) 1973年東京都生まれ。株式会社リクルートで雑誌編集に携わり、2005年に独立。教育現場への丹念な取材をもとに、書籍やコラム執筆、講演活動を行う。中高の教員免許、私立小学校での教員経験もある。著書は『勇者たちの中学受験』『ルポ 無料塾』『男子校の性教育2.0』など80冊以上。