現役引退の福田秀平がソフトバンク、ロッテで学び、ハヤテの後輩たちに伝えた「全力プレー」の精神
「(怪我に関して)先輩たちからは言われていたんですけどね、『今の状態で無理して頑張ったところで、良いパフォーマンスは発揮できない。でも周りからは、それが実力と思われてしまう。それはお前にとって損なことだよ』って。でも、プロ選手はみなどこかしら、怪我や故障を抱えながらプレーしています。『それでも結果を残せるのが一流選手だ』という思いが強かった。『自分もこんな怪我で引っ込んでいられない』と考えていました」 福田が新人から13年間在籍していた頃のソフトバンクは、リーグ優勝7度、日本一6度と、圧倒的な力を誇っていた。 例えば福田が1軍デビューした2010年シーズンでいえば、野手の主力は小久保裕紀、川﨑宗則、松田宣浩、多村仁志、長谷川勇也、本多雄一など。投手の主力は和田毅、杉内俊哉、攝津正、馬原孝浩など。どのポジション、どの役割にも球界トップクラスが揃っていた。他球団ならば間違いなくスタメンに定着できるような選手でも、1軍に上がるだけでも熾烈な競争に勝ち残らなければならなかった。福田はそんな最強軍団の中で揉まれ、プロ意識を叩き込まれた。 「今でも特に強く心に残っているのは、新人の頃、小久保さんから言われた言葉です。僕は代走守備要員で1軍に帯同しましたが、ある試合で、代走で1塁についたとき、打者がライト前ヒットを打って2塁に進塁しました。もしかしたら3塁まで進めたような当たりでしたが、安全策をとって2塁で止まった。 そうしたら試合後、小久保さんから呼ばれて『なぜ3塁を狙わなかったのか。お前は何で飯を食っているんだ。お前が今このチームで生き残れるとすれば、たとえアウトになったとしてもあの場面で挑戦することだ。それができない選手なら、このチームで価値はない』と言われました。それは強く心に響きました」 もうひとつ、福田には新人時代に経験した忘れられない出来事があった。エラーをした福田は試合後、ある先輩投手から呼び出された。1軍と2軍を行き来する、いわゆる当落線上の投手だった先輩からこう言われた。 「自分には責任のない野手のエラーひとつで降板させられ、それで二度と1軍に戻れなくなる投手もいることを考えたことがあるか。お前のエラーひとつで、俺の人生だけでなく、俺の家族の人生も、応援してくれている人たちの思いも、すべてぶち壊すことになる。たとえ些細に思えるようなプレーでも、そのひとつひとつには多くの人の人生や思いが詰まっていることは、忘れずに覚えておけ」と。