現役引退の福田秀平がソフトバンク、ロッテで学び、ハヤテの後輩たちに伝えた「全力プレー」の精神
「その先輩は自分を責めるような言い方ではなくて、『だから自分たちは、どんな場面やプレーでも手を抜かず、仲間のためにも常に全力で取り組んで頑張る必要がある』と教えてくれました。それからですね、守備でも仲間の人生も背負っていることをより強く意識するようになったのは。 自分の強みは、他の選手では届かないような打球でも追いついてアウトにできること。バッティングはたいした選手ではないと思いますが、走塁と守備は負けない。プロとしてそれで飯を食わせてもらっている以上、怪我のリスクがあったとしても挑戦しなければ、それこそ小久保さんから言われたように、自分の価値はないと思うようになりました」 常に全力、勝利のために緻密かつ挑戦する気持ちを忘れない。当時のソフトバンクは、小久保はじめ球界屈指と評価される選手が率先して手本を示し、スタメン、控えに関係なく、すべての選手が高いプロ意識を持っていた。強いチームには強い理由がある。福田は身をもって学び、それがプロの基準になった。 「今は右肩の状態をこれ以上悪化させることはできないので、たくさん練習している姿を見せることができないのは歯痒(はがゆ)いですが、ハヤテの若い選手にも、自分が学んできたことを少しでも伝えられたら良いな、という思いでやっています」 取材に伺った日、福田は若手のティーバッティングのサポートをしたり、ボールやネットの片付けも率先して取り組んでいた。 「今はとにかく、お腹いっぱいと思えるように精一杯やって(現役生活を)終えたいですね」 福田はそう話すと、リハビリテーション治療のため病院へと向かっていった。 * * * 現地取材したおよそ1ヶ月後の8月1日――。 福田は、今季限りで18年間の現役生活に別れを告げることを発表し引退会見が開かれた。 「(プロ野球選手になったときは)僕のような選手が、ここまで(長く現役を)できるとは思ってませんでしたし、最初入ったときには王(貞治)監督(現球団取締役会長)含め、レジェンドの方たちがたくさんいる中で、1年ですぐクビになるなっていうふうに思い知らされたプロの世界だったので。その中でも、先輩たちに追いつき追い越せの気持ちで、なんとかしがみついてやってきたのかなというふうに思っています」 引退会見時点でのウエスタンリーグでの成績は52試合に出場し打率.169、本塁打0、打点15だった。しかし最後まで希望を捨てず、リハビリに取り組みつつ、「明日」を信じて練習に取り組み続けた。福田の思いは同じように「明日」を夢見る後輩たちにも伝わり、かけがえのない財産になったはずだ。 ●福田秀平(ふくだ・しゅうへい) 1989年生まれ、神奈川県出身。多摩大聖ヶ丘高から2006年ドラフト1位でソフトバンク入団。プロ入り4年目で1軍出場を果たし俊足と堅守の万能選手として活躍。19年限りでソフトバンクを離れてロッテにFA移籍。しかし怪我に苦しみ、23年限りで戦力外通告された。24年はNPB1軍復帰を目指してくふうハヤテでプレー。8月1日、今季限りでの現役引退を発表した 取材・文・撮影/会津泰成