現役引退の福田秀平がソフトバンク、ロッテで学び、ハヤテの後輩たちに伝えた「全力プレー」の精神
「体力がより求められる投手にとって走り込みは大切なメニューですが、野手で福田さんほど走り込みをする選手に出会ったことはありません。 右肩の状態が悪くて、たしかに打率は1割台かもしれません。でも福田さんはアウトになるにしても、ランナーを進塁させたり、次に繋がるプレーをします。アウトでもチームに貢献するアウト。自分は投手ですが、練習でも試合でも常に全力で取り組む福田さんを見て学ぶべきことはたくさんあります」 平間の話を伝えると、福田は「それは嬉しいですね」と笑みを浮かべた。 肩の状態が限界に近い現状では、安打や好返球など華々しいプレーで手本を示すことは難しい。それでも一見気づかれにくい些細にも思える部分で、後輩たちが大切なことを感じ、学んでくれたのだとすれば、このチームに来た意味はあったのではないか。 平間の話を受けて、福田はこう解説してくれた。 「(ノーアウト2塁から)外野フライでアウトになるにしても、1アウト2塁になるのか、それともひとつ進めて1アウト3塁にできるかで、次のバッターの状況は大きく変わりますし、当然得点できる確率も変わります。そういう部分を若い選手が見てくれているのは、嬉しいなと思います。 くふうハヤテにいる若い選手たちは、もちろんNPB12球団にドラフト指名されることを目標に頑張っています。でも本当に目指すべきは1軍で活躍することです。そのレベルで考えると、僕も相当厳しい目で見てしまうときもあるので、そのあたりは後輩たちへの伝え方も、同じ選手という立場ではありますが、どう伝えれば聞く耳を持ってくれるかなど、もっと勉強していかなければいけないと思います」 ■今も心に残る、小久保裕紀の言葉 2019年オフ、福田は国内FA権を行使して13年間在籍したソフトバンクを離れ、5球団競合の末、4年総額推定6億円でロッテに移籍した。スーパーサブではなくスタメンで全試合出場したいという思いが、愛着あるチームから離れることを決断させた。 ロッテからは西岡剛、鈴木大地など歴代キャプテンが付けた背番号「7」を与えられ、大きな期待がかけられた。しかし前述したように、2020年シーズン開幕直前の6月、巨人との練習試合で死球を受けて右肩甲骨を骨折し、医師から全治3ヵ月と告げられた。本来ならば治療に専念するべきだったが、福田はわずか1ヵ月で実戦復帰した。これが悪循環となり、弊害はさまざまな箇所に広がった。 「右肩が使えない状態なのに、ろくにリハビリもしないまま野球を続けてしまったんですね。『とにかく試合に出て結果を残さなければ』と焦っていたことが一番大きかった。『絶対にレギュラーの座を奪ってやる』と、自分にとって野球人生で一番の大勝負と思って移籍しましたし。その中で、出鼻をくじかれた状態で、焦りしかなかったというのが本音です」 故障を抱えつつプレーし続けた福田がようやく手術に踏み切ったのは2年半が経過した2022年シーズンオフ。しかしそのときは、本来のプレーを取り戻すばかりか、野球をすること自体も厳しい状態まで悪化していた。 ロッテでは期待に応える結果をほとんど残すことができないまま、契約満了で戦力外通告を受けた。このことについて聞くと、「チームやファンに対しては申し訳ない気持ちでいっぱい。悔しい気持ちが一番強い」と答え、「野球人生一番の大勝負に負けた」と話した。