90歳女性、戦後に見合い結婚、貧乏所帯から始めた靴屋が繁盛。夫が帰って来なくても「頑張ろう」と思えたのは、子どもたちとお客様がいてくれたから
◆ゆとりのできた夫は外泊続きに ほどなくして長男を授かったが、9ヵ月で早産となり、亡くなってしまった。悲しみのどん底に突き落とされ、しばらくは立ち上がることもできなかった。それでも店が多忙であれば、お客様の存在に支えられる。 翌年、長女が生まれると、夫は大変な子煩悩ぶりを発揮した。まだ首も据わっていない長女を段ボール箱に入れ、スクーターで得意先をまわるのだ。そんな姿を見送りつつ、これがささやかな幸せなのか、と感謝する。その2年後の同じ日には、次女が誕生した。 5500円ほどで、それなりにいい靴が買えた時代である。売り上げは日に日に伸びた。娘たちは揃いの臙脂色のベレー帽と黄色い鞄を身に着け、「バイバイ」と手を振って幼稚園に向かうバスへと乗り込むようになり、忙しい最中も母親としての温かな心が戻ってくる。生活が安定すると2階、3階と自宅兼店を増築することもできた。 しかし経済的なゆとりとともに、夫の外出が目立つようになった。同窓会や接待、麻雀と理由をつけ、外泊の回数が増える。「あれ、いままで外泊したことなどなかったのに」とは思うものの、夫の行動を疑ったことがなかったので、私は戸惑った。 しかしレジの金を持ち出すようになってからは、さすがに私も自分をごまかすことができなくなり、「今晩こそは子どもたちと食卓を囲んでほしい」と願うようになった。 今宵こそと帰らぬ夫に祈りつつシーツの白さいとも苦しき この頃の私は、精神的にも肉体的にも限界だったのだと思う。子どもたちに、手みやげまで用意して来店くださるお客様方の存在が救いだったが、人伝に、夫にはほかの家があり、相手の女性は妊娠していて、すでに5ヵ月だと聞かされた。 皮肉なもので、私はそのとき妊娠3ヵ月に入っていた。夫にほかに女性がいるだけでなく、子どもまでいると知り、足元から何かが崩れるようだった。あのときの衝撃はいまも忘れることができない。 かといって競うような気持ちにもなれず、わが子たちのためにも怒りは抑え、まずはその女性と話をしなければならない、と思った。
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