大阪を代表するターミナル 発展続ける梅田の出発点の今昔物語 昭和100年だヨ! 全品集合 阪急梅田駅編
阪急電車といえば、やはり『梅田駅』(現大阪梅田駅)が出発点だ。明治43年の創業時は「単線片側ホーム」の小さな駅だったが、今では「9線10面ホーム」の巨大ターミナル。その成長の軌跡を現在、西宮北口駅統括駅長を務める柴幸雄さん(59)=昭和58年入社=と同駅駅長の松本直之さん(55)=63年入社=と一緒にたどってみよう。さて、どんな《旅》になるか―。 【写真】駅員改札口と自動改札機が半分ずつあった時代。「○×」表示が懐かしい(昭和53年) ■昭和48年に完成 懐かしい「梅田駅」への旅をお願いしたのは、2人とも入社1年目の配属先が同駅だったから。ところが2人は困った表情だ。 「私も松本も入社した時にはすでに梅田駅は大きくなっていましたからね。それ以前のことは…」(柴さん)。それもそうだ。 梅田駅が現在のような巨大ターミナルになったのは昭和48年のこと。30年代、経済成長を背景に阪急沿線の住宅開発が進み、一気に利用客は増えた。35年の調査では梅田駅の1日の乗降客は約44万人。40年には約60万人に達する。 電車の本数を増やし、連結車両数を増やすには駅そのものを拡張しなければならない。そこで「梅田駅移設拡張計画」が立てられ、41年から第1期工事が始まった。 単に駅の拡張工事ではなかった。阪急では「複合的な梅田地区開発事業」と位置づけ、総力を挙げて取り組んだ。 ①広大な駅の下に広がりのある地下店舗街を作る ②駅に直結した高層のオフィスビルを建設する ③駅は3層。3階に宝塚、神戸、京都それぞれ3線の9線10面ホームにする ④2階にエスカレーターを設置し、地下鉄御堂筋線への導線を確保する ⑤駅が遠くなったため1階に乗降客の利便性を高めよう―と、エスカレーターと「動く歩道」を日本で初めて実用化する―など。 こうして48年11月23日、「新梅田駅」が完成した。 「ここから私たちの登場ですね」と柴さん。2人が入社した50年代後半から60年代の梅田駅は集改札の自動化が一気に進んでいる時期だ。 阪急で自動改札機が導入されたのは42年3月1日。千里線の南千里―北千里間を延伸開業した際、新設の北千里駅に10台が設置された。梅田駅はもっとあと。なぜだろう。