大阪を代表するターミナル 発展続ける梅田の出発点の今昔物語 昭和100年だヨ! 全品集合 阪急梅田駅編
「北千里駅は当時、千里ニュータウンがオープンしましたし、1970(昭和45)年に大阪万博がありましたからね」と柴さん。そして「1日に60万人以上も乗降客がある梅田駅でもしトラブルが起こったら大変なことになりますから、いろんな駅でテストし、『よし、大丈夫!』となって梅田駅に設置したんですよ」。なるほど。
現在の大阪梅田駅には3階に41台、2階中央口に31台、茶屋町口に12台と計84台の自動改札機がある。
有名な話だが、阪急の切符や定期券は「園田」(神戸線)や「池田」(宝塚線)、「富田」(京都線)、「吹田」や「山田」(千里線)の「田」はそのまま普通の「田」と表記されているが、「梅田」は口の中が「×」の「田」になっていた。指で定期券の「山」や「園」の字を隠して「梅田駅」でキセルするのを防止するなどの狙いがあったという。
――自動化が進むと仕事が楽になったんじゃないですか?
松本さん「人が余ったような状態になりました」
柴さん「その余った若手は《検札班》に回されるんです。例えば神戸線の特急に乗って、切符を拝見いたしますと」
――それはキセルや無賃乗車している人を捕まえるため?
柴さん「いえ、違います。入社したとき教習所で全員が《検札とは不正を暴くのが目的ではない。お客さまに正しい乗車をうながすためのもの》と教わっているんです」
けっして不正を暴くものではない! 「阪急スピリッツ」が少し分かったような気がした。
■「三番街」由来は諸説
梅田駅の拡張計画の中で「地下に広大な店舗街」とあるのが、昭和44年11月30日にオープンした『阪急三番街』。
広報部課長の西浦一晴さん(45)に「三番街の歌知ってる?」と尋ねると、「♪have a nice day~」と歌い出した。違いますよ。「♪こんにちは こんにちは こちらは阪急三番街~」と歌うと不思議そうに首を傾けた。
44年は筆者、まだ13歳。両親に連れられて梅田に来ていた。水の都・大阪にちなみ世界で初めての「川が流れる街」は不思議な空間だった。「トレビの広場」では、「願い事がかなうから」と言われ、なぜか後ろ向きになってお金を投げ入れた。
なぜ、「三番街」になったのか―には諸説あり。ニューヨークの有名な「五番街」をまねた説。神戸、宝塚、京都の3線が集結する「梅田駅」だから「三」とつけた説。そして所在地が「小深町3番地」だったから説。あなたはどの説がお好きかな?(田所龍一)