【福島原発事故11年】東電の津波対策はなぜ先送りされたのか? 「民間事故調」報告書より #知り続ける
担当技術者とそれ以外の問題意識に大きな落差
福島第一原発の津波対策に関する提案が東電社内で繰り返し退けられた最大の要因は、土木調査グループの技術者たちの問題認識とそれ以外の技術者たちの問題認識に大きな落差があったことにある。それぞれ専門領域がまったく異なっており、津波対策の必要性を基礎づける前提事実の認識の程度に両者の間で相違があった。この相違は結局解消されることなく、対策は先送りされたまま2011年3月を迎えてしまった。 東電社内では、津波に関する専門知識や経験は土木調査グループのほうが経営層や原子力専門の技術者に勝っているのに、土木調査グループの技術判断は科学的根拠がないまま覆されてきた。玄人の技術判断を素人が覆した、ということができる。 しかし、東電は今も、福島原発事故前の津波対策について、「それぞれの時点における科学的・専門的知見等の状況に照らして適切に講じられた」、「合理性のある対応を講じてきた」と主張し続けている。 現場の技術判断を経営層が覆した事例は、福島原発事故が発生した直後の事態対処でも見られる。 2011年3月12日午後7時25分ごろ、東電の元副社長で当時フェローだった武黒一郎は、空だき状態にあった1号機への海水注入を止めるよう福島第一原発の吉田昌郎所長に求めた。当時、首相官邸では、海水注入がすでに始まっていることを知らない菅直人首相や班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長らの間で海水注入を始めた場合の炉心への悪影響の可能性について議論が続いていた。武黒フェローは「原子力災害対策本部の最高責任者である総理の了解なしに現場作業が先行してしまうことは今後ますます必要な政府機関との連携において大きな妨げとなる」と判断したのだという。社長の清水正孝もこの武黒の指示を是認した。 安全よりも行政への配慮を優先する、それはあまりに理不尽な判断だった。吉田所長が面従腹背でこれに従わなかったために、結果的に事態に悪影響を与えることはなかったが、このエピソードは、現場の技術判断を却下した上での経営判断の弊害を端的に物語る事例の一つである。