【対談】山田五郎と村上隆が、近現代の日本の美術史から読み解く「なぜ村上隆は嫌われるのか?」
日本美術の近現代史の歪みが生んだ、村上隆の「嫌われる理由」
村上:今日はありがとうございます。山田さんのYouTube番組は、ずっと拝見していました。 山田:「村上隆 もののけ 京都」は、お世辞抜きで期待以上に良かったですよ。《お花の親子》(2020)が東山を借景にした日本庭園の池にじつによくフィットしていましたし、《風神図》《雷神図》(ともに2023~24)にしても、《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》(2023~24)にしても、力作ですよ。 京都で開催する必然性のある展覧会になっているところがすばらしいと思いました。 村上:今日は山田さんに、クリティカルに忌憚(きたん)のない解説をいただけるという期待をしています。じつは、2020年オリンピックの東京開催が決定した2013年9月7日(日本時間8日)の、その5分後に、「村上隆だけにはキャラクターを作らせたくない」という言葉がTwitter(現X)でトレンドになりまして。もう、とにかく嫌われるんです。 山田:なぜ村上隆は、嫌われるか。じつは私も今日はその話がしたかったんですよ。というのも、村上隆が叩かれる背景には日本における「美術」に対する理解の歪みが凝縮されているような気がするからです。たとえば《マイ・ロンサム・カウボーイ》(1998)がオークションで16億円で落札されたとき、私は多くの方から「あの作品にそれだけの価値があるのか」と聞かれました。村上さんに限らず、美術作品が高額で落札されたニュースが流れるたびに、同じことを聞いてくる方が必ずいる。なぜそんなことを聞くかというと、ご本人は納得できていないということを、暗に主張したいからでしょう。そこで、なぜ納得できないのかを逆にうかがうと、たいていは「美術の価値はお金では計れないはずだ」みたいな答が返ってくる。でも、この理屈はおかしいですよね。お金で計れないのなら、いくらで落札されようと関係ないはずでしょう。なのに値段に納得できないというのは矛盾しています。これが、私のいう「美術」に対する理解の歪みのひとつのあらわれです。 村上:《マイ・ロンサム・カウボーイ》は、アニメのフィギュアのような作品を作って、それが16億円で落札されたのが、僕のイメージを決定づけました。 山田:美術も、かつてはスポンサーが自分の家や教会を飾るためにアーティストに発注するという、普通の商行為だったわけですよ。ところが、ヨーロッパでは市民革命が起きて、王侯貴族が所有していた美術作品を市民の共有財産として公開する美術館が誕生した。「美術の民主化」という点ではよかったのですが、いっぽうで美術館は美術を日常から切り離して、買うものではなく観るものにしてしまい、美術館で観るファインアートと日常的に売り買いする工芸品との間に垣根を作ってしまいました。「美術はお金じゃない」という考え方は、美術館とともに生まれたような気がします。 村上:そういうお話を、よろしくお願いします。 山田:もうひとつ、古典的な西洋絵画の最大の特色は立体的な写実表現にあり、「実物そっくりに描く技術」の高さが作品の価値を判断するひとつの大きな基準になっていました。ところが19世紀に写真が登場し、そっくりに描くことの意味が薄れてしまう。そこで印象派以後の画家たちは、写実性よりも絵画にしかできない表現を、それぞれのやり方で模索していくわけです。そうなると、「そっくりに描く技術」に替わる価値判断の基準が、観る側にも求められる。とはいえ、自分だけの判断に頼るのは不安だから、画家の名前や作品の値段に頼りがちになる。美術の価値をお金で判断する風潮は、ここから生まれたのではないかと思います。 村上:ある種のねじれ構造を作ってしまった要因には、江戸末期から、富国強兵的な明治時代に流れていく、西欧型近代国家の方向性を定めるにあたって、「日本画」というものを立ち上げざるを得ない程の極端な西欧偏向が芸術界にはあった。 山田:そこですね。美術はお金じゃないと言いながら値段でしか判断できない歪みは、西洋の近代社会の産物ですが、その歪みが日本でとくにこじれてしまったのは、明治以降の美術の受容のあり方に問題があったからだと、私も思っています。まず、西洋では市民革命の結果としてできた美術館を、我が国では形だけ真似てお上が作った。ファインアートを意味する「美術」という概念自体が明治以降に西洋から輸入されて、まだ定着もしていないうちに、偉い人に「これが美術というものじゃ」といわれれば、「ははーっ」と仰ぎ見るしかできないわけで、自分なりの価値判断基準が育つはずもない。さらに悪いことに、じつは偉い人たちのほうも、何が美術かよくわからないまま威張ってた。 村上さんがおっしゃるように、岡倉天心やフェノロサは、それまでは工芸との区別がなかった日本画を西洋でいう「美術」の位置にまで高めようと、1887年に東京美術学校を創立しました。ところが、すでにこの時点で、参考にすべき西洋美術の価値基準は、大きく揺らぎ始めていた。1896年に設立された西洋画科に、フランス帰りの黒田清輝が持ち込んだのは、古典主義と印象主義の中途半端な折衷様式でした。つまり、日本の美術教育は、「美術」という概念の土台になった西洋の古典美術をちゃんと消化吸収しないうちに、それを否定する価値観も同時に取り入れてしまったわけです。土台がぐらぐらしていては、まともな建物は建ちません。以後も日本の美術界は、西洋で次々に生まれてくる新たな美術思潮を表面的に追うのに精一杯で、背景にある歴史的必然性まで突き詰めて考えてはこなかった。その結果、「アートは自由で何でもあり」みたいな間違った「感性至上主義」が幅を利かせるようにもなってしまったんです。村上さんの作品が叩かれるのも、歴史的必然性が理解されず、表面的な「何でもあり感」だけで判断されていることに一因があるような気がします。 村上:でも、「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」(森美術館、2020~21)で一緒だった奈良美智さん、杉本博司さんらは、嫌われてないんですよね。 山田:村上さんだけが叩かれるのは、日本のサブカルチャーやオタク文化を引用する作風のせいですよ。もちろん、その引用には美術史上の必然性があるわけですが、そこが理解されないから、たんにオタク文化の成果を横取りしてお金を儲けている悪い人だと思われてしまう。とくにアニメやマンガ好きには、いわゆる「嫌儲(けんもう)」、お金儲けが嫌いな方が多いですからね。 村上:「村上隆の五百羅漢図展」(森美術館、2015~16)で、「ガンダム」の最初の監督の富野由悠季さんをトークのゲストでお呼びしたんですが、開口一番「あなたね、ただ乗りするのは、やめてほしいな。何もやってないのに、なんでアニメの代表者みたいな顔してんの」って。