【対談】山田五郎と村上隆が、近現代の日本の美術史から読み解く「なぜ村上隆は嫌われるのか?」
海外でウケて、藤田嗣治と同じ憂き目にあった
山田:村上さんが海外で評価されるのも、日本のアニメやマンガの評価に乗っかっているだけだと言われませんか? かつて藤田嗣治が面相筆で描く細い線を用いた平面的な画風でパリで成功したときに、日本美術ブームに乗っかっただけだと批判されたのと同じですよ。日本人って、やたらと海外の人に日本文化をほめてもらいたがるくせに、日本的な表現で国際的に成功したアーティストは叩く。まるで国民の共有財産を私物化して儲けているかのように批難するんです。 村上:嫌われて、何がなんでも叩かれる。そこから僕、ほとんど日本のメディアに出ることをやめました。海外の展覧会のときにメディアには対応して、あとはInstagramみたいな。 山田:そうする今度は、「村上隆は日本を捨てた」と叩かれる。藤田嗣治がフランスに帰化したときも、同じことを言われました。そのときに藤田が言った有名な言葉があって、「私が日本を捨てたんじゃない、日本が私を捨てたんだ」。 村上:仕方ないです。 山田:そんな村上さんをさらに鞭打つようで心苦しいのですが、叩かれる理由をもうひとつあげさせていただくと、「自分で作っていない」問題があると思います。《マイ・ロンサム・カウボーイ》を作ったのは海洋堂のフィギュア原型師BOMEさんだし、《五百羅漢図》もスタッフ総動員で描いてるじゃないか、と。でも、これも理不尽きわまりない批難ですよね。そんなことをいったら《太陽の塔》だって岡本太郎じゃなく建設会社が作ってますし、ラファエロもルーベンスも大工房で制作してる。そのあたりも、もう少し理解してほしいところですよね。
コトをややこしくした「スーパーフラット」
山田:そんな感じで、村上さんは母国・日本で理不尽に叩かれまくっているわけですが、それもこれも、現代アートをたんなる「なんでもあり」の感性の世界と勘違いして、背景にある歴史的必然性に目がいかない、「美術」理解の浅さのせいだと思います。村上さんの作品を美術史上の文脈に位置づけるキーワードとなる「スーパーフラット」という概念も、言葉としてのわかりやすさが逆にコトをややこしくしているというか、たんに平面的な表現を意味しているととらえられがちです。本来は、ファインアートとアニメ、芸術と芸能など、あらゆる差異の境界があいまいで全てが並列にある現代の日本社会の構造に可能性を見出そうとする芸術理念だと思うのですが。 村上:(美術史家の)辻惟雄先生の『奇想の系譜』を読んだとき、狩野山雪の《老梅図襖》が紹介されていて、山雪が梅に託した感情の爆発っていうものが、70年代後半のアニメのスペクタクルシーンの表現、主に金田伊功さんの描くフォームと、同じなんじゃないかと想定しました。辻先生に、その辺を説明しますので研究して頂けませんか?とお願いすると、「そういうのはあなたが自分で本を書きなさい」と言われました。それで自分で検証しようと思って、本(『SUPERFLAT』、2000)を作りました。 山田:元々は、絵画表現上の技法としてのスーパーフラットだった。 村上:そうですね。海外ではコンセプチュアルアートの文脈を、あまたの言葉で説明しているシーンがあるにもかかわらず、日本にはそれがひとつもなかった。ミニマリズム、シミュレーショニズムのように、スーパーフラットという言葉を使ってみた。 山田:そしたらその戦略が、思いのほか、うまくいったと。 村上:そうですね。それがまた嫌われてしまった原因なんですけど。「戦略」って言葉が、おそらく日本のクリエイティブ業界では、アレルギー反応が出ました。 山田:いや、スーパーフラットは美術だけじゃなく哲学や社会学にも応用できますし、クリエイティブ業界にとってもおおいに「使える戦略」だと思いますけどね。 村上:いわゆるポップアートの対義語だったんです。日本は戦争で焦土と化してしまったんで、ぺっちゃんこのまんまで。ポップアップの対義語という思いで作ったわけです。 山田:西洋絵画では近代以降、古典絵画のキモだった遠近法に対する疑問というのがずっとあって、19世紀のジャポニスムで日本絵画の平面性が注目されたのもその一環だったんですが、最近はポストモダンを語る文脈上で「遠近法的ではない絵画」が再び注目されていますよね。架構の序列に視線を封じ込める遠近法はむしろ極めて近代的であり、近代社会のシステムが崩壊したポストモダン社会には日本画的なフラットな視線のほうがしっくりくる、みたいな論調もあって、スーパーフラットはそこに見事にハマったんだと思います。現代アートは決して感性だけの「何でもあり」ではなく、そういう歴史的文脈上の位置づけが不可欠なんですよ。