還暦・ダチョウ倶楽部 肥後「60歳になっても現状維持」--芽生えたリーダーとしての自覚
2人になって芽生えたリーダーの自覚
――“笑ってもいいんだ”という肥後さんからのメッセージは、「どんな悲しい事があっても、みんなでクルリンッパ!」というコメントからも感じました。 肥後克広: みなさんが心配してくれたり、悲しんでいる様子を見て、「ダチョウ倶楽部は、実はこんなにも愛されているお笑いグループだったんだ」ということに初めて気付いたんです。そんな中、みなさんにどうコメントを返せばいいんだろうと悩んでいた時に、ふと浮かんできたコメントでした。 なので、あれは上島に対するコメントではなくて、日本中の上島を応援してくれていた人に向けてのコメントでした。「ダチョウ倶楽部のリーダーである俺にしか、この日本中の悲しみを救えない」「これがリーダーというものか」と、初めてその役割を自覚しました。 組織にはいろいろなタイプのリーダーがいます。純烈で言うと、リーダーの酒井君がメンバーをグイグイ引っ張っていくタイプですが、俺はフワフワしたリーダー。上島と寺門がそれぞれ「ああしたい」「こうしたい」とバラバラなことを言ってくるのに対して、「分かった。じゃあ、こっちに行こう」と、やんわりと交通整理をしているぐらいの感じでした。例えるなら「空気清浄機」ですね。メンバーをはじめ、周りのスタッフが仕事をやりやすいように空気を循環させている感覚。そのかわりに僕のフィルターは真っ黒なんですけどね。(笑)
これからのダチョウ倶楽部 “現状維持”がらしさ
――リーダーとしての責任感を持ち、日本中を笑える雰囲気に「くるりんぱ」した肥後さんですが、ご自身の気持ちの整理はついてきましたか? 肥後克広: 時間が経つと引きずる気持ちも多少は和らぐかなと思ったんですけど、何も変わらなかったですね。まだ延長戦をやっている気分です。日本中はくるりんぱできても、自分自身をくるりんぱするのは、まだ難しいですね。でも、する必要もないかなと思っています。どうせできないしね。 ――ダチョウ倶楽部のこれからはどのように考えていますか? 肥後克広: 紅白に出場したことで、僕自身もうダチョウ倶楽部がやれることは終わったのかなと思ったけど、結局まだ続いている。これで終わらないということは、ずっと続いていくという実感があります。僕らが20代の頃、「ダチョウ倶楽部の夢は?」と聞かれていた時に、よく「現状維持」と答えていました。昔は「夢がないな!」とツッコまれ、ギャグになっていたのですが、60歳になる今もダチョウ倶楽部が3人から2人になろうが“現状維持”は変わりません。 --- 肥後克広 1963年生まれ。沖縄県那覇市出身。1985年結成のお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部のリーダー。『ザ・テレビ演芸』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』などバラエティ番組で人気を博し、「リアクション芸人」の先駆け的存在で、数多くのテレビ番組に出演。現在もバラエティ番組を中心に活躍中。舞台『仁義なきギャル組長~ジャーナリスト土門瑛太の“M資金”真相解明ファイル~』に出演予定。