岡山県緑深い中山間地域で開催されたアートフェス「森の芸術祭」を訪ねて考えたこと
山の貌がだんだん見えてきた
杉浦さんの撮影は日暮れ時に始まるという。なぜその時間帯なのか。そのとき、何を感じているのだろうか。 「森の気配のようなものに対してとても敏感になります。人間にとって重要な情報収集器官である視力が低下するので、その他の部分が鋭敏になるのです。撮影時に考えているのは、実を言うと、早く帰りたいという現実的な感情と、この山の貌を見てみたいという好奇心がせめぎ合っています」 彼はこうした撮影時の環境を観客にも追体験してもらおうと考えた。 「実際の撮影は日没後に行うため、大型カメラのピントグラスを覗きこんでもすぐには何も見えません。しかし、ピントを合わすためにじーっと見つめていると、山の木々が風で揺れ、全体が生き物のように蠢いているように見えてきます。その不気味でありながらも、美しい姿をなるべく現場の温度感を保ったまま伝えたかった。そこで展示では、自然光のみで観てもらうようセットしました」 実は、芸術祭の図録に印刷された彼の作品は、暗くて何が撮られているのかよくわからなかった。展示会場内で作品を観た最初の瞬間もそうだったのだが、しばらくそこにいると、可視光量の多い環境から少ない環境に変わるとき、徐々に視力が確保される暗順応が起こり、彼のいう山の貌がだんだん見えてきたのは驚きだった。 その後、杉浦さんとメールで何回かやりとりして、森と人間の関係についての彼の考え方の背景を知った。 杉浦さんの現在の勤務先は地元の農協で、仕事は獣害(主に猪と鹿)による農作物の被害対策だという。 「田畑をフェンスで囲ったり、電柵を設置したりと工夫をしながら防いでいますが、イタチごっこです。なぜこうした獣害が発生したのか。考えられる原因は、人工林で建築材として重宝するスギやヒノキを植林したため、動物たちの食べるものがなくなり、里へと食糧を求めたこと、猟師の高齢化と担い手不足、地域の過疎化などが挙げられます。 もともとあった山の環境を破壊し、人間にとって使い勝手のいい環境を再設定したはずが、植林した木々が木材として使える頃には、もっと廉価で強度のある外国産材に主役を奪われ、金にならない山をメンテナンスする価値はなく、まともな間伐もされないまま荒れていき、獣が人間の住環境へと進出していくという流れなのかなと思います。 しかし、人工林を建築材として国産のスギやヒノキを活用するべく、国も補助金を出し、バイオマス事業にも取り組んでいるので、いま放置されている日本の山をうまく活用できればいいと明るい未来も持っています」 今回、杉浦さんの出展が決まったのは、彼の作品をたまたま展示していた津山市のレストラン「bistro CACASHI」に長谷川アートディレクターが訪れたことにあるという。 「長谷川さんから『明日、新見で会えますか?』と直電があり、翌日作品を見てもらい、すぐに出展が決まりました。そのとき『かつての神なき森を撮りながら、神の姿を探している』と言われました」 森の芸術祭では、森を題材とした作品はほかにもたくさんある。会期は11月24日まで。ぜひ訪ねてほしい。
中村 正人