peco「乗り越えるために“前”ではなく“上”を向く」最愛の息子と生きていくために #今つらいあなたへ
周りの人や家族がたくさん甘えさせてくれたから「大丈夫だ」と思えた
――ryuchellさんが亡くなった時は、どのような思いだったのでしょうか。 peco: 当時は息子のサマースクールでグアムにいたのですが、その時目の前には息子しかいない状況で、何というか「この子をどう守るか」しか考えられなかったです。言うまでもなく、私も言葉にできないほどの悲しい気持ちになったし、戸惑いもありました。ただ、そこで私が取り乱したり、ひたすら悲しんでいる場合じゃない、と頭が働いたので、いい意味で落ち込む暇もなかったんです。「これから息子を守っていかなきゃいけない」「これから頑張っていかなきゃいけないんだ」と思えたことで、逆にryuchellに対して、お別れの時にはしっかりと思いを伝えられました。 どれだけ泣いても、どれだけ後悔しても、どれだけ「あの時こうしていれば」と振り返っても、もう1秒前にも戻れない。だから、私はそういう意味での振り返りはしないと決めました。それよりも、ryuchellが遺してくれたこの息子を育てていくことで、ryuchellが「大丈夫だな」と思って見ていられるようにすることが、今、私が一番するべきことだと思いました。「守るものがあると強くなれるんだ」とめちゃくちゃ感じましたね。 ――pecoさんのご家族や周囲のみなさんからは、当時どういった声をかけてもらいましたか。 peco: めちゃくちゃいろいろな声をいただいて。もちろん心配の声もいただいたけど、近いお友達からは、現実的な手助けをしてくれる連絡もいただいて、それが本当にありがたかったです。 例えば、ワンちゃんを飼っている方からは「お散歩も今は行けないだろうから代わりに行くよ」とか、お子さんがいる方からは「息子くんのお迎えも行くし、息子くんを預かることもできるし、何でも言ってね」と声をかけてもらいました。記者の方が家の外にいるのを気にかけて、「もし家に来た方が良かったらいつでも家空けるからおいでね」と言ってくれる友達もいました。 私のお母さんも大阪からすぐに来てくれて、1カ月ぐらい一緒に過ごしてくれました。ryuchellがいなくなってしまった後、現実的にやらなきゃいけないことがたくさんあったんですけど、私が一番しなきゃいけないことは息子のことです。息子のケア、息子としっかり向き合うこと、息子と一緒にしっかりと悲しむこと……私が息子のことに集中できるように、他に何も余計な心配をしなくていいように、私のお母さんが身の回りのやらなきゃいけないことを全部やってくれて、めちゃくちゃ助けられました。 私たちの周りには、こんなにも肩を貸してくれる方がたくさんいるんだと実感しました。これからきっと誰かの手を借りなければならない時がいっぱいあると思うけど、大丈夫だと思えました。 今も、みなさんにいっぱいお願いしたり、いっぱい甘えさせてもらったりしています。でも、こうやって甘えられることに感謝して、これからも甘えさせてくれる人には、素直に甘えさせてもらおうかなと思っています。