あばれる君「教育実習で仕事量にゾッとした」現在の教員の働き方に思うこと
昨今、学校現場において教員不足が恒常化している現状や教員の過酷な働き方がたびたび取り上げられ、問題になっている。お笑い芸人として、バラエティ番組などで活躍するあばれる君は学生時代に教育実習に行った際、先生たちの業務の多さに「ゾッとした」と語る。教員という仕事に打ち込みながら家族サービスまで欠かさなかった実父の姿を思いつつ、自身も2児の父となったいま、現在の教員の働き方に思うこととは――。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
◆専門家が見る記事のポイント
教員も保護者であり人間だという当たり前の事実を、あばれる君が思い出させてくれる。社会が「聖職者」としての教員に、多くを求め過ぎていることも負担増の原因。教員が子どもたちにしっかり向き合えるようになるためにも、働き方の見直しは必要。【名古屋大学教授(教育社会学) 内田良氏】
先生たちは「文句を言わないで耐え抜くことが美徳」だと、まだ思っているかも
――教員だったお父さまの影響で、ご自身も教員免許を取得されたそうですね。 あばれる君: はい。教員免許を取得する際に、中学校で教育実習をさせていただきましたが、教えてくれる先生方の、授業1コマに対して準備に費やす時間とその労力がすごい量で驚きました。というか、実はちょっとゾッとしたんですよね。当時、自分が若かったから、力の入れどころがわからなかっただけかもしれないですけど、「これをこの先、仕事としてやっていけるのか」「勤続40年のベテランの先生って、これをやり続けていたのか」って。先生っていう仕事は大変だな、授業を受けられることって感謝だなって思いました。逆に言えば、「もうちょっと削れる部分があってもいいのでは」と思ったのも確かです。 ――最近、教員の働き方改革についてニュースになることが増えていますが、あばれる君自身はこういったニュースに対してどのように思っていますか。 あばれる君: 全く賛成ですね。長く働き続けている先生は、多分、どこかしらで力の抜き方とかうまいんだとは思うんですが、それでも先生は鉄人だと思っていますから。だって、朝起きて丸付けして、あれやって、これもやって、授業で声を張り上げて。夕方学校が終わったら、また次の日ですよ。子どもたちが好きで教育の現場に携わっているとはいえ、ちょっと過重になっているところもあるんじゃないかなと思いますよね。 自分にも子どもが生まれたからこそ思うことなんですが、例えばお子さんがいる先生だったら、家に帰ったら子どもの面倒を見なければならないし、子どもとキャッチボールの時間だって作りたいでしょう。そんな中でも、まだうまく指導しきれてない学校の子どものことも頭の中にある。特に反抗期の生徒たちだと、わざと反抗的な態度を示して相手の反応を見る“試し行動”みたいなこともするわけじゃないですか。そこを拒絶せずに、いかにうまく指導していくかが問われる先生の心労は大きいですよね。 また、最近だとスマホを持っていることで起きるトラブルがより深刻になっていますよね。そういったスマホ内で起きているトラブルに対して、どこまで先生が対処しなければならないのだろうって思ったりもします。 ――教員の業務負担のひとつになっている部活動についてはどう思いますか。 あばれる君: 僕は中学生の時、野球部だったんですが、顧問の先生は怖かったんですよね。そういう時代だったって言えばそれまでなのですが、いま思えば先生も別に積極的に部活をやりたいというわけじゃなくて、「やってやってんだから」っていう気持ちだったのかもしれませんよね。夏の暑さの中での部活動も、昔はそれを耐えることが我慢強さを身につけるって言われていたし。それが嘘だとは思わないんですけど、今のこの暑さだともうちょっと対策した方がいいですよね。そうすれば大変さも少しは減るんじゃないかなと思ったりもします。 部活動の顧問は、時間や職務に余裕ある教員や、競技経験があってやりたい教員がやるっていうのが前提ですよね。そして、その労働に見合った対価や手当が必要だと思います。ただ、公立校だと給特法で固定給と定められているため、残業代が出ないんですよね。それにも胸が痛くなるし、ゾっとします。 先生という仕事は聖職者にカテゴライズされたり、サービス精神があるべきとされています。その中で、文句を言わないで、耐え抜いてやるっていうのが美徳であるという価値観がまだ残っているんでしょうね。例えば、プロ野球選手に憧れる要素のひとつには、高額な年棒という派手さもあるじゃないですか。そういった意味では、先生という職業の魅力はどこにあるのか、と疑問に思ってしまいます。